(『世界の紛争イスラム・アメリカの対立』から抜粋)
パシュトーン人は、アフガニスタン人口の38%を占め、最大民族となっている。
パシュトーン人は、アフガン南部を中心にして住んでおり、800万人いる。
隣国のパキスタンにも、多くのパシュトーン人がいる。
パキスタンの人口の16%を占め、2200万人が住んでいる。
もともと、パキスタンとアフガンの国境は、1893年にイギリスによって決められたものである。
(これは、デュラント・ラインと呼ばれている)
イギリスは、パシュトーン人の居住地域を分断して、国境線を引いた。
そのため、パシュトーン人は2国に分かれてしまった。
彼らは今日でも、両国を自由に出入りして、国境は事実上は無い状態である。
ザヒル・シャーが主張した『大パシュトーン構想』は、このような背景から出ている。
ザヒル・シャーは元アフガン国王で、1933年11月から40年間もアフガンを治めた。
しかし、73年7月のクーデターにより、イタリアに亡命した。
ザヒル・シャーはかつて、パシュトーン人の国家『大パシュトーン』を創ろうとしていた。
(2013年4月4日に作成)