ネタニヤフの経歴(以下は『週刊文春 2025年10月16日号』から抜粋
2026年4月13日に作成)
🔵ベンヤミン・ネタニヤフの略歴
イスラエルのネタニヤフ首相は、イスラエル史上でも最年少で首相に就任した人で、最も長く首相をつとめてきた。
彼は、収賄、詐欺、背任の3つの罪状で起訴されており、刑事被告人でもある。
ベンヤミン・ネタニヤフは1949年10月生まれで、祖先は東欧からパレスチナに移住したという。
彼はテルアビブで生まれたが、父親が米国の大学の教授だったりしたので、米国のフィラデルフィアの高校を卒業している。
高卒後はイスラエル国防軍に入ったが、1973年に除隊。
米国に戻り、マサチューセッツ工科大学(MIT)で学び、さらにハーバード大学で学んだ。
MIT卒業後は、米国で経営コンサルタントをした。
彼はイスラエルに戻ると、今度は国連大使をし、政党リクードに入党。
1988年に国会議員に当選した。
1992年にリクードの党首となり、96年に首相になった。
96年は首相公選制が施行されており、国民の直接選挙で選ばれた。
(※1988年に初当選し、92年に党首というのは出世が早すぎると思う。
何か裏の事情がありそうだ。)
1999年の総選率でリクードが敗北すると、ネタニヤフは一度は政界から身を引いた。
当時、検察がネタニヤフとその妻を汚職で捜査していて、そこから逃げるための引退だったと見られている。
検察が証拠不十分で立件をあきらめると、政界に復帰した。
2009年にネタニヤフは再び首相となったが、2020年に3件の罪で起訴され、2021年に選挙で敗れて首相を辞めた。
ところが2022年にリクードが選挙で第一党になり、また首相となった。
(以下は『Newsweek日本版 2026年1月13日号』から抜粋
2026年5月25日に作成)
🔵ネタニヤフは国際的な犯罪者、アッバスとの互助関係
2022年末に発足した極右のネタニヤフ政権は、2026年秋に任期を終えて総選挙となる。
ネタニヤフ政権は、極右政党との連立政権だ。
ネタニヤフは自身の汚職の裁判について、ヘルツォグ大統領に恩赦を求めている。
また総選挙については、アラブ系の政党の立候補を妨げる措置を検討している。
ネタニヤフは、国際刑事裁判所(ICC)から逮捕状が出ている、国際的な犯罪者である。
パレスチナでは、2006年を最後に選挙が行われていない。
アッバス議長が率いる自治政府は機能不全で、彼の後継者も見当らない。
世論調査では8割がアッバスの辞任を求めている。
筆者(曽我太一)は、ネタニヤフとアッバスの関係を「互助会」と見てきた。
両者は対立を装いつつ、権力維持の上で持ちつ持たれつの共存関係にある。
アッバスはパレスチナ社会をまとめられないが、そんなアッバスを生かさず殺さずで利用してきたのかネタニヤフである。