(『世界の紛争がよくわかる本』から抜粋)
アメリカは、湾岸戦争の時に、イラク国内のクルド人の反政府蜂起を扇動しておきながら、戦後に十分な支援をしなかった。
そのため、クルド人はイラク軍の弾圧を受けることになった。
アメリカは、イラク北部の2大クルド人勢力である、クルド民主党(KDP)とクルド愛国同盟(PUK)を仲介し、1998年9月にクルド自治政府の樹立で合意させた。
アメリカは2003年のイラク戦争の際にも、イラクのクルド人勢力と協力した。
アメリカは、イラクではクルド人勢力を支援しておきながら、トルコで活動するクルド人勢力は認めず、PKK(クルド労働者党)のオジャラン党首の逮捕に協力した。
この行動は、親米派であるトルコに恩を売る思惑があった。
アメリカは同じクルド人に対して、「トルコの勢力は敵視するが、イラクの勢力は支援する」という、矛盾するスタンスを取った。