タイトルインドネシアとはどんな国か

(以下は『ウィキペディア』から抜粋
2012年1月27~28日にノートにとり勉強したもの)

共和制の国家で、首都はジャワ島にあるジャカルタ。略称は尼である。

領土は5110kmと東西に長く、赤道にまたがって1万8110もの島によって構成される。

島々で構成されるため、多くの国と国境線で面している。

ネシアは諸島を意味する。
島のなかでは、ジャワ島、スマトラ島、バリ島が有名である。

国内は28の州、5の特別州に分けられている。

人口は2.3億人以上で世界4位。

GDPは2009年時点で5400億ドルで、日本の10%ほど。2010年に世界で18位だった。

🔵歴史

元々住んでいたマレー系の人々は、前1世紀頃からヒンドゥー教を取り入れ、5世紀頃から王国を建国した。

12世紀以降は、商人がもたらしたイスラム教が広まった。

17世紀には、バタヴィア(ジャカルタ)を本拠とする「オランダ東インド会社」の勢力下となった。

船でやって来たオランダ人たちは、18世紀のマタラム王国の分割によりジャワ島を、19世紀のアチェ戦争によりスマトラ島を支配下に入れた。

1800年には、現在のインドネシアのほぼ全てがオランダの直接統治下(植民地)になった。

ジャワ島では1908年にブディ・ウトモが結成され、住民の地位向上をはかった。

1920年代に入ると、インドネシア共産党が政府と闘い始めた。

1927年にスカルノによるインドネシア国民党の結成があり、28年には「青年の誓い」が宣言された。

「青年の誓い」では、インドネシア民族とインドネシア語を宣言した。

しかし28年に弾圧され、スカルノらは逮捕された。
彼らは長い流刑生活に入り、独立運動は冬の時代となった。

1942年に日本軍が侵攻してきて、日本の軍政下におかれた。

日本軍は、後日にインドネシアを独立させる方針を決めた。

日本は、スカルノやハッタを解放し、協力を求めた。
さらにオランダの支配下では禁止されていたイスラム教を認めた。

1943年の中盤以降は、日本は戦局の悪化をうけて、現住民の武装化を決定した。そして軍事教練を行った。
この教練を受けた青年の多数が、後の独立戦争で中心役を担った。

日本はインドネシアの独立を推し進め、44年9月には国旗・国歌を解禁。
45年8年19日にスカルノとハッタが独立宣言を行うことを承認した。

1945年8月15日に日本は連合国に降伏したが、8月17日にスカルノらはインドネシアの独立を宣言した。

そして独立を認めないオランダとの戦争が始まった。

インドネシアの人々は、日本軍人のばらまいたり横流しした武器で武装化し、ゲリラ戦も行った。

独立に共感した日本人2000人も戦争に参加し、千人が死んだ。

49年12月のハーグ会議で、オランダからの独立が認められた。

1950年に憲法を制定し、55年に初の議会選挙を行った。

しかし多民族で多宗教のインドネシアでは議会制は機能せず、50年代後半には反乱が発生し、政治危機となった。

スカルノ大統領は1959年7月5日に憲法を停止した。
そして大統領への大きな権限の付与、国会の解散、議員の任命制を決めた。

このスカルノの独裁は激しい抵抗を生み、スカルノは戒厳令を出した。

スカルノは、国軍を牽制するため共産党に接近し、国軍と共産党を反目させた。

1965年9月30日の事件により、スハルトへと権力は移り、共産党は崩壊し、今日まで共産党は非合法となった。

スハルトは1968年3月に大統領になり、そこから30年に及ぶ長期政権を担った。

スカルノのナショナリズム路線から、欧米との協調に路線を変えつつ、独裁者として強引な開発政策を行った。

東ティモールなどの独立運動は厳しく弾圧した。

1998年のアジア通貨危機で経済が崩壊した。

副大統領だったハビビが大統領となり、民主化を実行。
政党結成の自由化も行われた。

99年10月にはワヒドが第4代大統領になり、メガワティが副大統領になった。

2004年4月に、インドネシアで初の直接選挙により、ユドヨノが第6代・大統領に選ばれた。ユドヨノは09年に再選した。

04年から大統領は直接選挙制となり、任期は5年で、再任は1度のみである。

国会議員も直接選挙制となった。

🔵外交

独立した当初から非同盟主義で、外国軍の駐留を認めていない。

1963年に、マレーシア連邦の結成を「英国による植民地主義」として、マレーシアに軍事侵攻した。
これが非難されると、65年1月に国連を脱退した。

67年8月のASEAN発足時に加盟した。

2001年のアメリカの9.11テロ後に、アメリカと関係が悪化した。
そして05年まで武器禁輸の制裁を受けた。

🔵その他

2003年時点で兵士数は30.2万人。予備役は40万人。
軍事予算の国家に占める割合は3.71%である。

国是の1つに、「唯一神の信仰(無信仰は容認しない)」がある。

地下ではプレートがせめぎ合っており、火山が多くて、火山活動は土壌の肥沃化に役立ってきたが、地震が多い。

スメル山は世界で最も活動している火山の1つ。

東ティモールは、2002年に独立した。

アチェやパプアでも独立運動が展開中である。

世界遺産は7つある。

🔵経済

基本的に農業国で、カカオ、ココナッツ(生産数が世界一)、米、コーヒー豆、大豆、タバコ、ゴム等をつくっている。

地下資源は、金、石油、石炭、ガス、銅、ニッケルが豊富。

日本はLNGをインドネシアから最も輸入している。

0204年以降は原油は輸入が輸出を上回っており、09年1月にOPECを脱退した。

1997年のアジア経済危機で大ダメージを受け、IMFの介入で国営企業の民営化などの改革が行われた。

その結果、貧富の差の拡大が社会問題となっている。

名目GDPは2001年から09年にかけて3.3倍に急拡大しており、G20の一角をなしている。

一方でインフラ整備の遅れや、法律における透明性の欠如が課題だ。

日本の行ったODAでは、日本の交番システムをインドネシアの警察に導入するものが ヒット商品とされている。

🔵国民性、宗教

国民の半分以上がジャワ島に住んでいる。

国民は原マレ一人と新マレー人に分けられ、原マレー人は前1500年頃に、新マレ一人は前500年頃に渡来した。

父系・母系を共に親族とみなし、姓のない人(スカルノやスハルト)もいる。

インドネシア語を日常で話す人は3千万人ほど。識字率は約90%。

2007年の時点で信仰する宗教は、イスラム教が76.5%、キリスト教が13.1%、ヒンドゥー教が3.4%

イスラム人口は1.7億人超で、世界一の多さ。
しかしシャリーア(イスラム法)による統治を受け入れておらず、イスラム国家ではない。

(2025年9月27日に作成)


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