タイトル野球の大投手たち

(『Number 692号』から抜粋)

東尾修(元投手)は言う。

「松坂大輔のスライダーが良いと皆が言うけれど、稲尾さんのと比べるのは失礼だよ。

稲尾さんは曲がりが鋭く、コントロールも良かった。

和田博実さん(捕手)の構えている所に、寸分の狂いもなく来てたんだから。」

稲尾和久はスライダーを駆使して、日本シリーズを3連覇し、1シーズンに42勝の大記録も作っている。

通算276勝。防御率は1.98。実働14年だった。

稲尾は「豪腕」「鉄腕」と呼ばれたが、剛速球で三振をとるタイプではなかった。

バッテリーを組んだ和田博実は、こう語っている。

「ストライクゾーンにボール半個分の出し入れをするとよく言うが、サイちゃん(稲尾)はボール3分の1の出し入れをして、審判すら魅了した。」

稲尾は「野球は教わるものではない、盗むものだ」が信条だった。

しかし、こんなエピソードもある。

1987年にトイレで、ばったりと山田久志・投手と会った。

山田が「スライダーの投げ方を教えて下さい」と頭を下げると、稲尾は用をたすのも忘れて、20分もトイレでスライダーの握りを教えた。

落合博満がロッテの選手だった時、稲尾が監督をした。

稲尾、落合、佐藤道郎コーチの3人で飲み、朝まで野球談義になることもしばしばだった。

落合は中日に移籍した時、「稲尾さんだけは、心から胴上げをしたい監督だった」と漏らしていた。

(『引退そのドラマ』近藤唯之著から抜粋)

江夏豊は、終身防御率は2.49で、206勝、193セーブ、2987奪三振の大投手である。

彼がプロ野球選手になった昭和42年は、まだスピード・ガンは無かったが、直球なら150キロは間違いなく出ていた。

江夏には不思議な能力があった。
彼はこう語る。

「自分でも不思議ですが、たとえば長島茂雄さんが右打席に立ったとき、外角のタテの線がはっきり見えるんです。

外角のタテ線が、キラキラと空気が光ってはっきり見えます。

しかし左打者が立つと、この外角線(左打者では内角線に相当)は消えてよく見えない。

だから私は左投手でいながら、左打者は好きでなかった。」

大洋に、土井淳という名人の捕手がいた。

私は彼に、「一塁走者がスタートを切り、あなたが二塁に送球する時、なにを基準にして投げますか」と質問した。

すると土井はこう答えた。

「二塁ベースの上30cmぐらいに、小さいミカン箱くらいの空気がキラキラ光って見える。それを標的にして送球するんです。」

プロ野球史上、江夏ほど右打者の外角線を巧みに利用した左腕投手はいない。

江夏がぽつんと「俺はキラキラ光る外角線が見えなくなったら引退するよ」と言ったのを、はっきりと覚えている。

昭和59年6月27日に、江象は抑えで9回途中から登板した。

だがいつもなら光る外角線がほとんど見えず、安打を打たれて逆転負けした。

これが江夏の現役最後から2番目の試合になった。

江島はその後、渡米してキャンプとオープン戦に参加し、大リーグのブルワーズのテストを受けた。

もう外角線のキラキラは見えなかったと思うが、テストに落ちた時こう言った。

「良い夢を見させてもらいました。」

(2024年5月10~11日に作成)


目次『スポーツ』 目次に戻る

目次『サッカー』 目次に行く

home『サイトのトップページ』に行く