スーフィズム(イスラム神秘主義)

(『誰にでもわかる中東』小山茂樹著から)

スーフィズムは、「人間の魂と、神との結合」を主張する。

スーフィの語源はスーフ(羊毛)に由来すると言われ、初期のスーフィ禁欲主義者たちが着用していた粗末な羊毛衣服から来たという。

スーフィズムの神秘主義・禁欲主義は、イスラム教では異端的である。

今日でも、トルコにはスーフィズムの影響が濃いといわれる。

(『イスラム世界のこれが常識』から抜粋)

アッバース朝の時代になると、カリフとウラマーは緊密な関係を築き、ウラマーは政治権力と癒着して信徒にイスラム法の順守を強制するようになった。

そうした中で、「イスラム法は信徒によって自発的に順守されるものであって、ウラマーが政治権力をバックに強制するものではない」と考える人々が、イラク南部に出てきた。

彼らは、ウラマーによってイスラムが危機に陥っていると考えたのである。

彼らの中から、スーフィー(神秘家)が出てきた。

初期のスーフィーの中で有名なのは、バスラ生まれの女性ラービアである。
彼女は、「神への無私によって、神との合一を図れる」と唱えた。

この考えは、9世紀には一般大衆にも受け入れられるようになり、10世紀にはイラク全域に浸透した。

スーフィー達は、敬虔なイスラム教徒であり、教えを守り礼拝などを怠らない人たちであった。

彼らは形式主義を廃し、修行によって神と一体になろうとした。
修行の最高段階では、自己意識の消滅に達するとした。

(神との一体化や自己意識の消滅を目指すのは、仏教の真言宗や曹洞宗に近いものを感じます)

スーフィーが聖者として崇められるようになり、民衆の間に聖者信仰が流行ると、ウラマー達は「神の唯一絶対性を損なうものである」として、スーフィーの処刑を行った。

ウラマーからスーフィーに転じた学者たちは、スーフィーを擁護した。
その結果、スンニ派イスラムとスーフィズムは融合し、民衆の中に根を張っていった。

12~13世紀になると、個人的な修行から集団での修行に変わった。
これが、『スーフィー教団』として知られるようになる。

各教団は、イスラム世界の各地に拡大していった。


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