(『イスラム世界のこれが常識』から抜粋)
ジハードとは、「努力する」を意味するジャハーダから派生した言葉である。
ジハードのそもそもの意味は、『定まった目的のための努力』である。
つまり、宗教的な努力のすべてを指す。
イスラム法の考え方では、イスラム教の主権が確立されていない世界に主権が確立されるまで、信徒にはジハードが課せられている。
コーランではジハードについて、次のように語られている。
「戦いを挑んでくる者があれば、迎え撃つがよい。
だが、こちらから仕掛けてはならない。
そして、向こうが戦いをやめたら、こちらも手を引け。」
ジハードは、極めて防衛的な性格なのである。
コーランは、「向こうが和平に傾くなら、お前も和平に傾くがよい」とも述べている。
和平には応じなさい、と指示しているのである。
初期のイスラム教徒たちは、偶像崇拝者や多神教徒に対しては、厳しい態度でいどんだ。
しかし、唯一神教徒(ユダヤ教徒・キリスト教徒)に対しては、彼らが貢納金(人頭税など)を支払えば、信仰を保持することを認めた。
イスラム教は、侵略や復讐の戦争や、強制的に改宗させるための戦争は認めていない。
合法とされた戦争は、防衛のための戦争、イスラム教徒が庇護を求めてきた場合の戦争、偽善的支配者に対する戦争、である。
オサマ・ビン・ラディンを匿ったためにアメリカから攻撃をされたアフガニスタンのタリバン政権は、アメリカから攻撃をされたために、ジハードを呼びかけたのである。