(『誰にでもわかる中東』小山茂樹著から)
イスラム教は、「日々の生活・経済・政治と分離し得ない教え」であり、『聖と俗の区別がない』。
この点は、キリスト教と大きく異なる。
キリスト教は「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返せ」と説き、『政教分離』を原則とする。
キリスト教は、「政治などの俗世界に口を出さない」のが原則である。
もっとも、キリスト教がローマ帝国で国教になってからは、教会の俗界への支配力は強まっていった。
イスラム世界には聖と俗の区別はなく、イスラム法(シャリーア)がすべてを律する。
厳格にイスラム法が遵守されているサウジアラビアでは、今日でも刑罰はシャリーアに基づいて執行される。
窃盗には手首切断、姦通には石打ちによる死刑などが、それである。
聖と俗を区別しないので、当然ながら聖職者は存在しない。
しかしながら、しばしばウラマー(イスラム法の学者)が聖職者に擬せられる。
聖俗の区別をしなかったために、イスラム社会では世俗世界の紛争が、ただちに宗教界に持ち込まれた。
これにより、イスラム教の誕生後すぐに分裂が生じ、多数の派が生まれた。
イスラム教は、政治的な対立が宗教的対立へと繋がりやすい側面がある。