(『誰にでもわかる中東』小山茂樹著から)
イスラム教は、聖と俗の区別をしなかったために、イスラム社会では世俗世界の紛争がただちに宗教界に持ち込まれた。
これにより、イスラム教の誕生後すぐに分裂が生じた。
イスラム教は、政治的な対立が宗教的対立へと繋がりやすい側面がある。
イスラム教の最も重大な分派は、『シーア派』である。
第4代のカリフ(預言者の後継者)となったアリ(在位656~661年)は、預言者の従兄弟だったが、ハーリジー派によって暗殺された。
この後、アリの対抗馬であったウマイヤ家がカリフを世襲化して、「ウマイヤ朝」を創った。
しかし、アリの支持者で「アリの子孫にカリフの正当性がある」と主張するグループは、アリの子供フセインを擁して、ウマイヤ家の打倒に立ち上がった。
フセインは、680年10月10日に敗死したが、この日こそがシーア派の最大の服喪日である「アシュラ」である。
シーア派とは、『シーア・アリ』の事で、シーアとは党派の意。
つまり、シーア派とは『アリの党派』を意味する。
シーア派は、アリ以前の3代のカリフを含めた歴代のカリフを一切認めず、アリ及び彼の子孫のみを、預言者の後継者とする。
シーア派は、「アッラーの他に神はなし、ムハンマドはアッラーの使徒なり」の後に、「そしてアリは、ワリー(選ばれた友)なり」と付け加える。
彼らは、アリの子孫を「イマーム(預言者の後継者)」と呼び、現世の最高権威者とする。