サンジェルマン伯爵(17世紀に活動)(以下は『ウィキペディア、ネット記事』からの抜粋
2011年8月16日にノートにとり勉強
2026年9月11日に作成)
🔵サンジェルマン伯爵とは
1691年 or 1707年に生まれ、1784年2月27日に亡くなった。
様々な分野の知識が豊富で、音楽や絵の才能もあった。
スペイン王女マリー=アンヌ・ド・ヌブールとメルガル伯爵の私生児という説がある。
1746年までイギリスのロンドンで過ごした。
その後の12年間の活動は分かっていない。
1758年初めにフランスのパリに移住。
国王ルイ15世に「希有な発見」を約束し、シャンボール城をもらって研究に入った。
ルイ15世の重臣ショワズールはサンジェルマンを疎み、人を雇ってサンジェルマンのホラ話を広めた。
しかし、かえって彼に権威を与えることになった。
1760年に、ショワズールによってスパイ容疑にかけられ、オランダへ逃れた。
この後、イングランド、イタリア、ロシア、ドイツに足跡をつけ、顔料と色彩についての研究を発表した。
1766年、プロイセン王フリードリヒ2世の庇護をうける。
1767年、プロイセンを出る。
ヘッセン領主の元に身を寄せ、そこで1784年に亡くなった。
ヘッセン領主によれば93歳だったという。
🔵エピソード
丸薬とパンと麦しか口にしなかった。
各国語を話し、中国語すら話した。
クラヴサンとヴァイオリンの名手で、作曲もした。
化学と錬金術に精通しており、不死を可能にする著作を残したという。
カリオストロが所有していたとされる書「La Très Sante Trinosophie」の著者だともいう。
宝石を多く所有し、ダイヤモンドの傷を消す秘法を知っていた。
2千年~4千年も生きていると自分で語っていた。
サンジェルマンは、「かつてエジプトのピラミッドの中で修行し、ヒマラヤに行って聖者から学んだ」と語っていた。
歴史の転回点に現われ人類史に裏から関与したとの説もある。
ヴォルテールは1760年4月15日のフリードリヒ2世への手紙で、「決して死ぬことがなく、全てを知っている人物」と書いた。
フリードリヒ2世も「死ぬことのできない人間」と記している。
サンジェルマンは「自分は不老不死なので霊薬以外は口にしない」と言っていた。
作曲家のラモーは1710年に会ったと記している。
初めて記録にサンジェルマンが現れるのはラモーの1710年の日記で、ラモーによると50歳位に見えたが、恐ろしく話題が豊富だった。
セルジュ(ジェルジ)伯爵夫人も1710年にベネチアで会ったが、45歳位に見えた。
40年後に彼女が再会したとき、全く年を取ったように見えなかった。
1735年にオランダのハーグにいたとされ、25歳前後に見えたという。
カサノヴァはハーグで彼と会ったという。
ゲーテは彼の弟子であると言われている。
フランス革命の前に、ルイ15世やルイ16世やマリー・アントワネット、その侍女のアデマール夫人に会って忠告したのは有名な話。
ルイ15世とルイ16世にはバラ十字団に入るよう勧めている。
ナポレオン3世はサンジェルマンに関心を抱き、資料を集めるよう命じた。
1871年のテュイルリー宮殿の火災でこの資料は消失した。