タイトル中国の仏教
10世紀までの中国の思想史

(『中国の歴史を知るための60章』から抜粋)

仏教が中国に伝わったのは、紀元元年の頃である。

そして3~10世紀の間は、中国の宗教/思想をリードした。

仏教は多くの中国人(漢人)の心を捉え、仏教文化を開花させた。

その文化は、朝鮮、日本、ヴェトナムなどの周辺地域にも、多大な影響を与えた。

10世紀後半の宋の時代になると、中国社会は大きな転換をし、宗教/思想も仏教から儒教へと転換された。

しかし、その後も仏教(特に禅宗)は、中国の知識人に大きな影響を与え続けた。

朱子学も陽明学も、仏教の影響なしには考えられない。

仏教以外の中国の伝統思想は、いずれもその源流を春秋戦国時代の『諸子百家』に求められる。

諸子百家たちは、来るべき社会について智恵を絞り、自らの考えを為政者に売り込んだ。

したがって、どの思想も政治思想の性格が濃い。

諸子百家の思想は、総じて関心が政治・社会に向いており、個人の内面や魂の救済は軽視されている。

漢代になると、『儒教』が他の諸子百家の思想を吸収しながら、漢帝国を支える教学になった。

そして儒教の研究が進められ、新たな解釈が加えられた。

しかし、国家体制と結びついた事で、儒教は「出世の手段」と化し、偽善化した。

この結果、多くの人は儒教に替えて『道家思想(老荘思想)』に傾倒した。

道家思想は、偽善化した儒教を批判するのに有効であった。

そこに、仏教が「道家思想よりも洗練されたもの」として登場したのである。

漢帝国が滅びると、仏教の信者と仏寺が増え、仏教は広く浸透し始めた。

道家思想では、「万物は仮の姿にすぎず、すべては無に帰る」と主張する。

仏教は、道家思想の「無」を批判し、「すべては無に帰すると考えると、無に執着する事になる。万物は無に帰るが、無から万物が生まれる」と言った。

この考えは、「色即是空、空即是色」と呼ばれている。

仏教が中国に伝わった当初は、道家思想の論理を手がかりに、仏教を理解しようとした。

そして、仏教の「空」を、道家の「無」と同一視した。

この段階の中国仏教を、『格義仏教』と言う。

やがて、空と無の相違が明らかになり、中国仏教が本格的に展開した。

そして、仏典は中国語に次々と翻訳されていった。

しかし、翻訳作業は体系的なものではなかった。

そのため、仏典は書かれた年代に関係なく翻訳・紹介されて、教義の矛盾する経典が並列してしまい、混乱が生じた。

そこで、どの経典がシャカの奥義・真髄を伝えているのかを判定する、「教相判釈」が行われた。

教相判釈の結果、中国仏教には様々な宗派が誕生した。

一般に「十三宗」と言われ、「三論宗」「法相宗」「天台宗」「華厳宗」などが有名である。

これらの宗派は、互いに排斥しあうものではなく、多くの宗派を学ぶ僧侶もたくさん居た。

宗派間の論争では、天台宗と華厳宗の「性具説」と「性起説」の論争が有名である。

この論争は、後世の儒教内部での、朱子学の「性即理」と陽明学の「心即理」の論争を思わせるものがある。

各宗派は日本にも伝来し、奈良時代に『南都六宗』(三論・法相・華厳・律・成実・倶舎)を形成した。

その後、平安時代の初期に、天台宗と密教(真言宗)が伝えられて、八宗となった。


目次【中国の思想/宗教】 目次に戻る

目次【宗教・思想の勉強】 目次に行く

目次【中国史】 トップページに行く

home【サイトのトップページ】に行く