ヴェルナー・フォン・ブラウン、ロケット開発

(以下は『ウィキペディア』からの抜粋
2011年5月14日に勉強)

🔵略歴

1912年3月23日生まれで、1977年6月16日に亡くなった。

ドイツ貴族の家に生まれ、父は大臣をした男爵である。

幼少時に作曲家ヒンデミットにピアノを教わっている。

物理や数学が不得意だったが、ヘルマン・オーベルトのロケットについての著作を読み、数学に打ちこむ。

1930年、ベルリン工科大学に入る。
ヘルマン・オーベルトのロケットエンジンの試験を手伝う。

大学院へ進み、ドイツ陸軍兵器局で研究を始める。

1934年、2.4km以上の高度に達するロケットの打ち上げに成功。

43年、V-2ロケットを完成させ、ロンドンに着弾させた。

さらに超音速対空ミサイル「ヴァッサーファル」も開発する。

ナチス時代は党員で、新衛隊の少佐だった。

「兵器よりも宇宙船を開発しようとしている」として、SSとゲシュタポに反逆罪で捕まる。

ヒトラーのとりなしで釈放された。
ヒトラーは「私でも釈放はかなり困難だった」と述べた。

1945年5月、研究スタッフと共に米軍への投降を決める。
列車を盗み出し、逃亡生活へ。

ドイツ降伏後に米軍に投降し、V-2ロケットの機材は米軍に接収された。

なお彼の配下の多くはソ連軍の捕虜となった。

ヴェルナー・フォン・ブラウンら126人の技術者は米国に送られ、米軍の監視下でV-2ロケットの修復と新型ロケットの開発を命じられた。

1947年に18才の従妹に求婚し、結婚した。

50年に米政府によってアラバマ州に移され、以後20年そこに住む。

50~56年は米陸軍のロケット開発チームを率いて、レッドストーン・ロケットを生み出す。

1952年に彼は、宇宙ステーションの概念を発表した。
月探査の拠点にする計画だった。

同じ頃、ディズニー社の宇宙探検の映画制作に参加した。

レッドストーン・ロケットを改良した、ジュピターCロケットを開発。
これは58年1月31日の米国初の人工衛星「エクスプローラー1号」に使用された。

1958年にNASAは誕生したが、60年にNASAのマーシャル宇宙飛行センターの初代所長となり、70年まで務めた。

宇宙飛行用のサターンVロケットを開発し、69年のアポロ11号に使用された。

72年、NASAの方針に違和感を持ち、辞職した。
フェアチャイルド社の副社長に就任した。

(2025年4月26日に作成)


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