現在、衆議院の選挙が近づいてきて、政治が盛り上がってきています。
良い機会なので、私が以前から持っていた『みんな、選挙に行こう』という提案を、今回はいたします。
私は今36歳ですが、私が子供の頃よりも有権者の投票率は、下がっています。
地方選挙だと50%を大きく割り込む事もあり、「これで正当性のある選挙といえるのか?」と思える時もあります。
しかし私の実感としては、国民全体で見ると、選挙への関心自体は下がっていないと思います。
国民の心理を冷静に見ると、全く政治に期待できずに諦めている人や、どこに票を入れればいいか分からない(政策で共感できる党が無い)ために棄権している人、が多いのだと思います。
選挙に行かない人の多くは、「どうせ政治は変わらない」「行くのが面倒だ」「投票したい党が無い」などと言います。
これらの選挙に行かない理由は、様々な問題を含んでいて、一筋縄ではいかないです。
ですが私は、『投票する事は自分の意思を示す事であり、投票をしていくことは自身を成長させることになる』と確信しています。
より多くの人が選挙に行きたくなる様に、選挙権についての歴史的な話を、これからします。
これを知れば、選挙権を持っている事はすばらしい事であり、それを安易に放棄すること(選挙に行かないこと)はもったいないし、先人たちに失礼だと、理解できるでしょう。
まず始めに、私が選挙権について関心を持ったきっかけを話します。
実は私も、20歳の頃は(選挙権を得た当初は)「選挙に出る人は信用できない人ばかりだし、各党は党利党略ばかりを追求していて支持する気になれない」と感じて、投票をしていませんでした。
それが変わったのは、ヨーロッパに旅行をしてからです。
その時に、フランスのベルサイユ宮殿で(だったと思います)、『フランス革命についてのビデオ解説』を見ました。
日本語の通訳サービスがあったので(これには結構驚きました)、内容を完璧に理解できたのですが、映像を見ていて「国民というものが成立をし、選挙権などを得るためには、こんなにも多くの努力や犠牲があったのか!」と衝撃を受けました。
その映像は、「フランスは世界に先駆けて、民主主義を実現した国です」と高らかに宣言しており(これは世界史を俯瞰すれば、明らかに事実です)、フランスの誇りを強く感じさせました。
その、自国の成立史に誇りと自信を持った態度には、感銘を受けました。
世界史を全然知らない方のために少し解説をすると、それまでの世界には『国民』や『選挙で、民衆の代表を選ぶ』という考え方や制度は、ありませんでした。
基本的に、国家は王(法王などの宗教権威者を含む)が支配・統治していまいた。
フランスの民衆は、国王に対して反乱を起こし、初めて民衆が主人公となる制度(王のいない、選挙で選ばれた議員たちが政治をする制度)を生み出したのです。
私はこの時まで、「選挙権があるのは当然の権利であり、普通の事だ」と考えていました。
この考えは間違っている訳ではないのですが、『選挙権は人類史のごく最近までは無く、その権利を得るために多くの人の様々な努力があったこと』を全く認識していませんでした。
そして映像を見た後は、「日本にはこの様な、選挙権を得るための熱い活動はなかった。だから日本では選挙が軽視されているのだ。フランスはすばらしい歴史を持っている。羨ましい。」と思いました。
私は、この経験を経て、『選挙権はすばらしい権利なのだ。それを使わないのは、もったいない。』という認識になり、それからは選挙に必ず行くことにしています。
さて、話はこれだけでは終わりません。
その後、日本の近代史を勉強する中で、『日本史には選挙権を得るための熱い活動の歴史はない、と思っていたのは完全な勘違いであり、実際にはあった』と知りました。
その最初の運動は、明治の初期に生まれた『自由民権運動』です。
一般的に自由民権運動は、「野党・在野の勢力が薩長藩閥政治に対抗して、無理な活動を展開した」とされています。
民衆の支持がものすごくあったのに、どうも軽い評価(上手くいかなかった無謀な運動という評価)を与えられている気がします。
活動の当初に中心人物だった者(江藤新平など)が、政府への反逆者として処刑されたり、投獄されたりしたため、未だに公式には「天皇(当時の政府は天皇と一体でした)に逆らった者達」として、正当な評価がされていないようです。
しかし、この活動は、政府の弾圧を受けながらも国民の支持を受けて続けられ、最終的に『憲法の制定』というかたちで、結実をしました。
大日本帝国憲法の成立については、伊藤博文など政府側の人物にばかり焦点が当てられますが、実際は国民の声に押しきられて、乗り気でなかった政府が成立を受け入れたものです。
憲法の内容については、自由民権運動の関わっていた人の中でも賛否があったようですが、とにかく大きく前進したのは間違いないです。
国民の民主化・参政権への熱い要望が、憲法として結実したのです。
こうして、憲法によって議会が作られる事になり、選挙が日本で行われるようになったのですが、実は大きな問題がありました。
なんと! 選挙権があるのは、多額の税金を払った人だけでした。
(こういう制度の国は、残念ながら今でも少数ながら存在しています)
政府の言い分としては、「教育レベルが低いため、一般人はまともな政治判断が出来ない」との事だったようです。
それに、「全員に選挙権を与えると、薩長藩閥が否定をされて、今権力の座に居る自分達は落選する」との判断もありました。
実際に、選挙では薩長藩閥を否定する候補者が多数当選をし、藩閥政府は選挙介入(選挙不正)をして、強引に自分たちの保身をはかる状況に追い込まれました。
(このような選挙介入も、今でも海外ではよくありますね。日本はこういう歴史を経て、健全な選挙に近づいてきたのです。)
結局、男性に関しては、徐々に選挙権の対象者の拡大が実現し、昭和に入ってから男性全員への選挙権は認められました。
しかし、女性の選挙権は、一切認められないままだったのです。
軍国主義で男尊女卑の価値観に染まりきっていた当時の日本は、女性運動家を中心にして「女性に参政権を求める運動」が高まっても、無視し続けました。
実は、女性に選挙権を認めたのは、日本人ではなく、戦後に日本を一時占領していた「アメリカ」なのです!
アメリカでは、すでに女性の選挙権が認められていました。
それを導入したのです。
ここに至ってついに、「成人の全員に」選挙権が与えられました。
アメリカが日本を占領統治した時期の政策については、功罪があり、評価が難しいです。
しかし、「女性への選挙権」「農地解放」「財閥解体」「言論の自由化」「平和主義への転換」など、明らかに良かったと評価できる政策があったのは、事実です。
今の時点から冷静に見つめるなら、アメリカに統治されていた時代の屈辱・苦悩を無駄にしないためにも、その時代に得られたすばらしい事の一つである「女性の選挙権」をもっと大事にするべきです。
女性には、政治に一切関心を持たない人が結構います。
ですが、女性が選挙権を得るのは、もの凄い大変な努力があったんですよ。
今、選挙権を得るために、イスラム教の国の女性が苦労をしていますが、あれと同じ様な状況が過去の日本やアメリカなどでもあったんです。
以上、『選挙権』についての話をしてきました。
読んでもらい分かって頂けたと思いますが、この権利を得るためには、大変な時間と労力がかかっています。
選挙権を獲得するための運動では、時には弾圧をされて命を亡くしたり、投獄された人もいました。
(今、中東やアフリカで起きている民主化の運動を見れば、その大変さを理解できるでしょう)
それなのに私たち日本人は、選挙権がすばらしいものだという事実を、見失っていると思います。
その責任の一端は、日本で選挙権獲得のために闘ってきた人たちを、政府に逆らった者としてあまり評価をしない、歴史家・評論家たちにあると思います。
私は、「選挙権の獲得史」を国民が知れば、かなり選挙への参加意欲が上がるのではないかと思っています。
私自身が、その体験をしたからです。
よく、「選挙への参加は義務である」とか「権利を行使しないといけない」と主張する人がいます。
正しい意見なのですが、なぜそうなのかを説明しないと、あまり影響力を発揮できないと思います。
そして、「なぜ」の部分を説明するには、選挙権の獲得史を語るのが一番いいのではないかと考えます。
獲得史を語れば、選挙権が無かった時代と今とを、比べる事ができます。
そして比べれば、「今はすばらしい状態であり、これを守っていかなければならない」との自覚が生まれます。
選挙には、必ず行きましょう!
投票する事は、素晴らしい行為(過去の多くの人が夢に見た行為)であり、良い世界に繋がる力強い意思表示です。
それは、歴史的に見て間違いありません。