11月8日に、「エリザベート・ガラ・コンサート」を観てきました。
このコンサートは、宝塚歌劇団のOGの方々が出演される豪華なもので、私の愛する魂の恋人である「花總まり」も出ているので、頑張ってチケットを取って、観て来ました。
(このために、チケットぴあの会員になってしまいました…)
この作品『エリザベート』を少し説明すると、オリジナルはウィーンで上演されたもので、それを宝塚がアレンジをして上演し、人気作となって何度も再演されているものです。
主役はエリザベートと、彼女を愛して様々な活動を展開していくトート(死を司る存在)です。
エリザベートは実在の人物で、オーストリア帝国の皇后だった人です。
このミュージカル作品は音楽が素晴らしく、名曲ぞろいです。
そのために今回、ガラ・コンサートという歌だけをピックアップした公演が、特別に行われました。
さて、その内容ですが、本当にすばらしいものでした。
エリザベートという作品は、難しいメロディの曲が多く、さらにハモリが多いので、コーラスをきれいにまとめるのが大変なのですが、今回はバッチリでした。
特筆すべき点は、大勢で歌う時に、皆の音量が揃っていた事です。
これは、演者の息がすごく合っていないと実現しません。
私は、1999年の宙組版のエリザベートを観てますが、その公演とは比較にならない素晴らしさでした。
今公演は出演者の歌唱力の平均値が高く、宝塚でのヴァージョンよりも、ずっと歌のレベルが高いです。
宝塚の現役生は、すごい勉強になると思いますよ。
「皆さん、宝塚を退団後も努力を続けてこられたのですね。感動です!」と思いました。
出演者の一人ひとりの歌詞が聴き取り易く、コーラスも揃っているので、メロディの美しさと、ストーリーの流れがすごく理解できました。
私は上述通り宙組ヴァージョンを観劇しており、宝塚でやった別の組のヴァージョンもDVDで何回も見ていました。
それなのに、「こういう話だったのか! こういう事だったのか!」と何度も気づきがありました。
多くの役者さんが、「この作品は、素晴らしいメロディ、素晴らしい構成になっている」と言いますが、今までは「どうもピンと来ないなー」と思っていた。
今回ようやく、「なるほど、確かにその通りだな」と納得できました。
ここからは、私が敬愛している、エリザベート役の花總まりさんの演技について書きます。
その後に、ストーリー全体について書きます。
(花總まりさんは、天才的な大女優です。その詳細については別のページに書いているので、読んでみて下さい。)
まりさんの演技は、1幕目は完璧でした。
多くの方がまりさんのブログに、「私だけに、の歌が最高だった!」とコメントしていますが、本当にその通りでした。
1幕目は歌も演技も完璧でした。
エリザベートの持っている「気取らなさ、自由を求める情熱、明るさ」を、しっかりと表現していました。
前回の宙組で演じた時よりも、力が抜けており、歌は艶やかで、心に染みるものに仕上げています。
いつも思いますが、まりさんは音程がいいですねー。
難しいメロディラインでも、きっちり音程を合わせてきます。
その一方で、2幕目は、どうも感動が薄かったです。
この理由について、家に帰ってから考えてみました。
そして、『年齢を重ねた声にするために、声を作っている。それ自体は良い事なのだが、その事によって声がキンキンし、歌詞が聴きづらくなっているからだ』と気付きました。
1幕目は、まりさんは自然な発声をしているので、歌詞も分かるし、声に伸びがあり迫力もあります。
それが、2幕目には消えてしまっていたのです。
この解決策としては、「無理な発声をせずに、演技力で年齢を出す」のがいいと思います。
声は、年齢を重ねても変わる人と変わらない人の個人差があるし、無理に高齢感を作らなくてもいいのではないかと、私は思いました。
もう一つ、理由として考えたのは、『エリザベートの心情が、うまくつながっていないからではないか』というものです。
具体的に、まりさんの演技を観て感じた事を、二つ挙げます。
①
病院に行き、精神障害者と会う場面。
ここで「私よりもあなたの方が自由だ」と歌うのだが、もっと『そうだったのか!という気付き感』を出した方がいい。
まりさんの演技は、精神障害者に会う前から、相手の方が自由だと思っているように見えた。
エリザベートは、自由を求めて旅を続けてきている。
この障害者に会って、「自由とは、心の中にあるものなのだ。私は今まで自由を求めて旅をしてきたが、それは心の中にあったのだ!」と気付く演技をすると、すばらしい場面になると思います。
②
ルドルフと再会し、ルドルフから助けを求められる場面は、「自由についての気付きがあり、人として成長したのだが、まだ自分の事で一杯一杯で、深く考えずに冷たい態度をしてしまう」と演じると良い。
まりさんの演技は、「久しぶりにルドルフに会い、何だか彼の状態がよく分からない…。んー、自分で解決して」という感じ。
もっと自分の自由を追い求める事に邁進している感じを出せば、あまり冷たくならず、ルドルフが母エリザベートを深く愛しつつ絶望して自殺する展開にもスムーズに繋がるはず。
①と②の解釈を入れつつ、2幕目全体のエリザベートの心情を、私の解釈でつなげていくと、こうなります。
ゾフィーとの確執でノイローゼとなる。さらに夫フランツの浮気もあり自由を求めて宮廷を出る。
そして旅に明け暮れる。
↓
ゾフィーは死ぬが、自由を優先して宮廷には戻らない事を選択する。
↓
旅の中で精神障害者に会う。
そこで真の自由は、心の中にあると気付く。成長をする。
↓
ルドルフから助けを求められるが、かつてゾフィーが自分にした様な愛の無い態度を、ついつい自分に染み付いた宮廷感覚でしてしまう。
↓
ルドルフが自殺。自分のせいだと思い、絶望する。
そして死を求める。
しかしトートから「死は逃げ場ではない」と説得され、自分の生を精一杯全うしようと決める。
↓
旅の中でルキーニに刺される。
これで自分の生を終えようと、自ら選択をし、昇天。
こう解釈をすると、全場面が上手くつながり、演技に深みが出ると思います。
今のまりさんの解釈だと、場面ごとのつながりが弱いです。
つながりが弱いため、エリザベートが「いつも被害者意識を持っている、弱い人」に見えてしまっています。
例えばルキーニに刺されて死ぬ場面ですが、ここは悲劇的な場面ではありますが、エリザベートはもっと明るい雰囲気で登場していいと思います。
「自分の旅をそれなりに充実して送っているエリザベート。そこに突然現れるルキーニ。刺されてみて、これでこの生は完了したと気付き、満足して死ぬエリザベート」と演じると、前後の場面とスムーズにつながると、私は思います。
エリザベートは、「子育てを自分でしたいと激しく主張しておきながら、宮廷を出て子育てを放棄する」「夫のフランツが心底から帰ってきてくれと頼むのに、帰らない」など、すごく我儘な所があります。
この我儘なところを含めても「エリザベートは魅力的だ」と思わせるには、『誰よりも熱く自由を追求していく、一途な自由探求者』を貫いて、その姿をアピールする以外にありません。
まりさんの演技は、1幕目はこれを上手く表現していましたが、2幕目ではあまり表現できていませんでした。
これが、2幕目で物足りなく感じた理由だと思います。
2幕目でも一貫して、自由を求める姿勢を表現していけば、もっとエリザベートが理解しやすく魅力的な人になると思います。
さて、ここまでかなりの分量を、まりさんの演技で改善したら良いと思う部分に割きました。
これは、まりさんへの『どこまでも深い愛』ゆえのことです。
まりさんは分かってくれているのですが、読者の方には「花總まりに失礼だろ!」とか、「言い過ぎでは?」思う人がいるかもしれないので、一言お断りをしておきます。
ここからは、エリザベートの演技とは関係ない話をします。
まりさんについての小話です。
芝居が終わり、エンディングとなって役者たちが順番に出てくる場面で、まりさんは変わった登場をしましたね。
ライトが当たる前に横を向いてポーズを決めておくのですが、妙にかっこ良かったです。
あの横向きポーズでライトに照らされる演出は、「どう? 私がエリザベート様よ」という感じで、エリザベートっぽくて、グットですね。
終演後のカーテンコールでは、まりさんも挨拶をしましたが、「やっぱり僕は、まりさんの声が大好きだ」と改めて思いました。
そして、「普段の美しくお茶目な声でまりさんが歌ったら、この作品はもっと感動できるはずだ」と、挨拶を聞きながら思いました。
1幕目ではかなり自然な声で歌っていましたが、もっと自然なそのままの声で歌っていいと思います。
それ位、まりさんの普段の声は魅力的だからです。
挨拶の中で彼女は、「この舞台に参加できて、本当に嬉しいです。感謝で一杯です。お芝居が好きだと気付く事ができたのは、このメンバーの方達と、かつて一緒に、この作品をやれたからです」と、涙を見せながら、言いました。
「おお、いい雰囲気じゃないか。かわいいぞ、まりさん」と思いました。
まりさんは結構、涙もろい人なのですね。宝塚時代にはそういう印象はなかったのですが。
このコメントを聞いた時、「お! これからはどんどん芝居をしていくつもりなのだな」と感じました。
「私の中には女優の血があるのを、再認識しました」というニュアンスを、私は感じたのです。
この作品全体についての感想も書くつもりでしたが、まりさんの事だけでかなり長文になってしまいました。
なので、2回に分ける事にします。
(続きはこちらのページです)
(2012年11月10日に作成)