ムハンマドの生涯⑤
メッカで布教を始め、世に警告を発するが、
人々から危険人物だと見られる

(『イスラム・パワー』松村清二郎著から抜粋)

預言者としての自分に目覚めたムハンマドは、メッカの人々に警告を始めた。

警告の内容は、「アッラーは唯一絶対の神である。この世には終末の日が迫っている。審判の日に、アッラーを信仰している人は天国に入るが、信仰していない人は地獄に落ちる。」であった。

当時のメッカは、クライシュ族が有力者となっている、人口1万人の町だった。

メッカのカーバ神殿には、多くの守護神の偶像が祭られ、人々は偶像崇拝を行っていた。

神殿の守護神たちを「ただの偶像である」と主張するムハンマドを、人々は「彼は気が狂っている」と言ったと、伝えられている。

クライシュ族は、カーバ神殿を管理して、巡礼者の落とすお金を収入にしていた。
そのため、ムハンマドの言葉に危機感を持った。

しかもムハンマドの教えは、「血縁や貴賎で差別をしない」ため(神の前では万人が平等である、と説いていた)、クライシュ族にとっては脅威だった。

メッカでイスラームの信者になったのは、200人ほどだったという。

この少数の人たちを、クライシュ族は迫害していった。

ムハンマドと後見人のアブー・ターリブを村八分にし、商取引を禁止するなど追い込んでいった。

その最中に、ムハンマドは妻のハディージャと叔父のアブー・ターリブに先立たれてしまう。

ムハンマド自身にも、暗殺の危険が迫ってきた。

こうして彼は、メッカを捨ててヤスリブ(メディーナ)を目指すことになるのである。

(『世界の歴史⑧ イスラーム世界の興隆』から抜粋)

ムハンマドは614年頃から、公の伝道を開始した。

活動の拠点にしたのは、名門マフズーム家の青年アルカムが提供してくれた、大屋敷であった。

共鳴者が増えていくと、クライシュ族の指導者たち(家長たち)に疑念が生じた。

彼らはムハンマドと会見し、「もし偶像崇拝への攻撃を止めれば、富と権力を保証するし、一緒にアッラーへの礼拝も行う」と提案した。

ムハンマドは悩んだ末に結論を出して、「お前たちにはお前たちの宗教があり、私には私の宗教がある」と答えた。

この後、指導者たちは迫害を始めた。

耐えかねたムハンマドは、信者の一部をキリスト教徒の国アビシニアに避難させた。

619年には、迫害から守ってくれていた叔父のアブー・ターリブと妻ハディージャが亡くなってしまった。

アブー・ターリブが死没すると、その弟のアブー・ラハブがハーシム家の家長となった。

彼は、指導者たちと気脈を通じており、ある時ムハンマドに向かって「お前の祖父は今、天国にいるのか、地獄にいるのか」と尋ねた。

ムハンマドは、「(イスラームを知らない)祖父は、地獄に居る」と答えざるを得なかった。

この返事をハーシム家全体への侮辱と考えたアブー・ラハブは、ムハンマドを一族の者として保護するのを取り消し、布教活動を停止に追い込んだ。

コーランの第111章には、ムハンマドのすさまじい怒りが吐き出されている。

「腐ってしまえ、アブー・ラハブの両手。
 彼の富もかせいだ金も、何の役にも立たない。

 やがて彼は業火の中で焼かれよう。
 薪を運んでくるのは彼の妻。首には荒縄つけて。」

メッカでの活動を断念したムハンマドは、60kmほど東にあるターイフに新天地を見い出そうとした。

しかしターイフの人々は、彼に石を投げつけて町から追い払った。


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