ムハンマドの生涯⑧
ユダヤ教徒と揉めてしまい、教義を変更する

(『世界の歴史⑧ イスラーム世界の興隆』から抜粋)

メディーナ移住をした直後のムハンマドは、ユダヤ教とキリスト教の区別を知らず、「コーラン」はモーセやイエスのメッセージと全く同じものだと考えていた。

そのためムハンマドは、「メディーナのユダヤ教徒は、自分を神の使徒と認めてくれる」と期待した。

しかしユダヤ教徒たちは、旧約聖書すらろくに知らない人間を、神の使徒と思えなかった。

ユダヤ教徒と対立したムハンマドは、「イスラームは、アブラハムが信じていた純粋な一神教の復活である。ユダヤ教やキリスト教は、アブラハムの教えから逸脱したものだ。」と主張した。

そして、今まではユダヤ教徒に習ってエルサレムに向かって礼拝していたのを、礼拝の方向(キブラ)をメッカに改めた。

この変更について、コーランの第2章142節はこう説明する。

「愚かな者達は言うであろう。『どうして彼らはキブラを変えて
 しまったのか』と。

 言ってやるがよい。『東も西もアッラーのものである。
 神は御心にかなう者を正しい道に導いて下さる』と。」

(完全な屁理屈にしか聞こえない…。論理的な説明がなく、単なる我儘な変更としか思えない。)

624年にバドルの会戦で勝利すると、ムハンマドはさらに変更を加えた。

それまでは断食を1月10日、つまりユダヤ教の「贖罪の日」に行っていたが、ラマダーン月に1ヵ月の断食をすると定めた。

これは、輝かしいバドルでの勝利が、ラマダーン月(624年3月)に起きたからである。


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