もう学歴社会は、終わりにしよう@
(2012.9.3.)

私は高校時代から、「学歴社会は、日本人を不幸にしているし、人間の評価基準として機能していない」と思い続けています。

高校の時は、論理的な意見にはなっておらず(自分の体験から直感した状態だった)、他の人を説得する意見にまとまっていませんでした。

それから20年弱が経ち、「学歴社会は日本人を不幸にしている、人間の可能性を奪っている」との思いはますます確信になり、自分の意見が一つの形にまとまりました。

ここでその意見を述べ、新しい世界を提案いたします。

○ 学歴社会の歴史

まず、『学歴社会の歴史』を振り返りましょう。

そうする事で、学歴社会の本来の意味・目的が分かり、現在では学歴社会が人々の幸福に
役立っていない事が理解できます。

現在の「学歴によって就職や出世が決まる」というシステムは、『明治時代』に始まりました。

(江戸時代の藩校や、中国の科挙にさらに遡ることも可能でしょうが、私は今の
 システムは明治に源流があると考えます。)

明治時代は、「欧米に追いつくために必死になっていた時代」でした。

国力がないと『植民地』にされてしまう、そういう時代状況だったため、日本は富国強兵・近代技術の導入・欧米化を行って、植民地にされるのを防ぐ必要があったのです。

明治時代の前の江戸時代は、鎖国をして外国と接触していませんでした。
そのために、日本は技術力・科学力が進歩せず、欧米諸国に比べて圧倒的に劣っていました。

当時は、「弱い国は、強い国に搾取されて当然だ。搾取されるのが嫌なら、強国になれ。」という、『帝国主義時代』でした。

欧米諸国は日本に進出すると、「弱くてカモにできる国」と見なし、ガンガン日本から搾取を始めました。

(今も世界の状況が大して変わっていないのは、本当に悲しいです)

「このままじゃいかん。欧米に追いつかないと植民地にされる。」というのが、明治時代の日本の立場でした。

そして、「国力の基本は教育だ! 国民の民度や学問のレベルを上げる事が、国力の充実の基本となる。」と考え、小学校から大学まで次々と設立していきました。

(それまでの日本には、現在のような学校はありませんでした)

しかし、当時の国力では予算に限りがあり、大学もあまり設立できず、限られた人にしか
高等教育が出来ませんでした。

さらに、海外に行かないと最新の科学・技術を学べないため、優秀な成績の人を政府は
海外留学させたのですが、当時は海外に留学するのはとってもお金や時間がかかりました。

(当時は日本の輸出品目は少なく、日本は経済小国でした。

 また、まだ飛行機がない時代で、海外への移動は船でしたが、円が弱かったのもあり、
 留学費用は莫大な金額が必要でした。)

この状況のために日本は、次の方針を採りました。

『 優秀な学生を選抜して、高等教育を行う。

  そして、その中でも優秀な者を海外留学させて、最新の学問を学ばせ、帰国後は
  指導者として日本をリードさせる。

  こうやって、日本全体を底上げしていく。 』

この『エリートを選抜・養成して日本をリードさせるシステム』が、学歴社会となったのです。

つまり、「本当は全員に高度な教育を施したいが、国力・予算の関係で出来ない。とりあえず、一部の人から実施していく。」という事だったのです。

本来は過渡的な方法として、一部の人を選抜して高度な学問教育をさせるはずでした。

ところが、いつの間にか、「大卒や海外留学をした者は、特権的なエリートであり、大衆はそのエリートに従うのが正しい」という変な神話に、すり変わってしまったのです。

さらに、大学にランクが出来て、そのランクで就職や出世が決まるというシステムに、
変化しました。

そして、そのシステムが現在では、日本人の可能性を縛る元凶になっています。

○ 学歴システムが、現在ではもう機能していない事を解説する

次に、いかに『学歴システム』が現在では機能していないかを、説明します。

まず、上記したように、このシステムは『過渡的なもの』でした。
本当は、「国民全員に高度な教育を施したかった」わけです。

さて、今の教育状況を見てみましょう。

現在は学校が有り余るほどに設立され、『大学に全員入学できる』状況になっています。

この事は、「教育レベルが下がる」などと問題視している人がいますが、『明治時代に夢見た事が、ようやく実現された』というのが、正しい解釈だと私は思います。

根本的に、あらゆる人が大学まで行って学べるのは、すばらしい事なのです。

明治時代の人に、「平成の社会では、全員が大学に行けるんです」と話したら、「天国みたいですね」という言葉が返ってくると思います。

現在は、あらゆる人が高度な学問教育を受けられるのだから、もう「エリートを選抜する」必要は無いです。

あとは、本人の努力にまかせればいいんです。

さらに、昔と違い今は、図書館も充実し、各種の講座、インターネットなどもあり、『勉強できる場』が沢山あります。

そして、個人での海外留学も、簡単に出来ます。

もう国内の状況が、明治の頃とは全く違います。最新の学問が、誰でも簡単に学べるのです。

明治時代から長らく、『東京神話』がありました。

「東京が学問の中心であり、東京に出て学ばないと、本物になれない」という神話です。

これは、当初は正しい認識でした。

明治の頃は、学校は少なく、教えられる教師も少なく、地方はまだ学べる環境が出来ていませんでした。
必然的に、東京とその他の場所では、学問の質に大きな差がありました。

今はどうでしょうか。

学校は多く、専門知識のある教師も多く、地方の環境も充実しています。
これらは、今までの日本人の努力の結晶です。

日本はもう、環境が大きく変化しているのです。

もう一つ、ここ数十年で大きく変わったことは、『寿命が延びた』ことです。

明治の頃は、人生は50年でした。 それが今では、人生は80年です。

学歴システムは、「20歳前後の時点で、その人間の能力評価を決定するシステム」ですが、人生50年の20歳と、人生80年の20歳では、全く意味合いが違ってきます。

この点からも、学歴システムは今と異なる社会を前提にしており、もう機能していないと分かります。

(※ここまででかなり文章が長くなったので、2回に分ける事にします。
 後半はこちらです。)


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