(『エコノミック・ヒットマン』ジョン・パーキンス著から抜粋)
1972年4月に、私はパナマに出張した。
パナマでは、オマール・トリホス将軍が「パナマの自治権」を主張し、『パナマ運河の返還』を求めていた。
パナマ運河は、アメリカが軍事介入して造ったものだ。
1903年に、セオドア・ルーズベルト大統領は、戦艦ナッシュビルをパナマに送り込んだ。
上陸した米軍はパナマを占拠し、地元で人気を得ていた市民軍の指揮官を殺害し、「パナマは独立国である」と宣言した。
(※当時は、パナマはコロンビアの一部でした。
アメリカは、コロンビアからパナマを軍事力で引き離したのです。)
そしてパナマに傀儡政権が樹立され、アメリカとパナマは『パナマ条約』を結んだ。
この条約は、完成後の運河の両岸はアメリカが行政権を持つ地帯にすると定め、アメリカの軍事介入を法的に認め、パナマの実質的な支配権をアメリカに認めた。
奇妙なことに、条約を調印したのは、アメリカのヘイ国務長官と、パナマ運河会社のフランス人技師フィリップ・ヴァリーヤであり、パナマ人は署名していない。
それから半世紀以上も、パナマを独裁政治で支配するのは、アメリカ政府に強力なコネを持つ富裕な人々だった。
彼らは右派の独裁主義者で、アメリカの利益のためにどんな手段も厭わなかった。
彼らは、人民主義を弾圧し、CIAやNSAの反共活動を支持した。
そして、ロックフェラー家のスタンダード石油や、ユナイテッドフルーツ社(この会社は父ブッシュに買われた)などの、アメリカ大企業の活動を助けた。
パナマの独立(1903年)から1968年までの間に、米軍は何度もパナマに介入した。
だが1968年にパナマで、独裁者アルヌルフォ・アリエスがクーデターで倒されて、クーデターにあまり関与していなかったオマール・トリホスが指導者として登場した。
オマール・トリホスは、中流・下流階級から高い支持を得ていた。
彼は、1960年代に貧しい人々からの支持を増大させた「国家警備隊」で頭角を現した人物だ。
彼は貧民街を歩き回り、そこで集会を開いたり支援をしていた。
多くの人々が、トリホスの人間愛を評価し、西半球全域で彼を讃える声が高まった。
人口が200万人のパナマは、社会改革のモデルとされて、各国の指導者に刺激を与え始めた。
私は事前の情報収集により、オマール・トリホスが「自分の信念に基づいて生きる人物」と知っていた。
彼の下で、パナマは建国後に初めて、アメリカの操り人形でない存在となったのだ。
トリホスは、モスクワや北京の甘い誘いに決して乗らなかった。
彼は共産主義を主張せず、アメリカの敵と同盟を結ばなかった。
彼はパナマ運河を重視し、「パナマを二分する運河の権利は、パナマ人のものだ」と主張した。
さらに、運河地帯に設置されていたアメリカ陸軍の『米州学校(SOA)』と呼ばれる軍事学校や、アメリカ南方軍司令部の『熱帯地域戦の訓練センター』を、取り除こうとした。
アメリカ軍は長年にわたって、ラテンアメリカの独裁者の子息や、軍の指導者たちを、この施設で調教していた。
人々を弾圧する技を教え、アメリカ軍の高級将校たちとの絆を築かせていたのだ。
これらの施設は、暗殺部隊や拷問者たちの育成場として知られ、ラテンアメリカの人々から嫌われていた。
私がパナマに入国すると、パナマ政府から案内人が派遣されてきた。
(著者は当時エコノミック・ヒットマンをしており、エンジニアリング会社の重役の肩書きだった)
案内人の名前はフィデルで、パナマについて説明してくれた。
「パナマは、リオグランデ川の以南では最も国際銀行の数が多い国です。
『アメリカ大陸のスイス』と呼ばれているんです。
私達は、お客様にめったに質問をしませんから。
運河を通る船は、半分は日本へ往来している船で、アメリカ相手を上回っています。」
海岸沿いの豊かな地区に行くと、公園でアメリカ人らしき家族がピクニックをしていた。
「アメリカ市民なのか?」と私が尋ねると、「もちろんだよ、カナル・ゾーンはアメリカ領だ。暴君のトリホスが波風を立てている、実に危険な男だよ。」との返事がかえってきた。
次に、スラム街に行った。
栄養失調で腹の膨らんだ子供たちが、施しをねだってきた。
あちこちの壁に落書きがあり、「外国人は出て行け」「アメリカ政府は奴隷使いだ」「パナマはベトナムじゃないとニクソンに教えてやれ」といった文句があった。
次に、カナル・ゾーンに行った。
そこには信じられないほどの豊かさがあり、巨大なビル・豪華な住宅・手入れされた芝生・ゴルフコース・多様な店・劇場があった。
案内人のフィデルは説明した。
「ここにあるものは、すべてアメリカ人のものです。
スーパーマーケットも美容院もレストランも、パナマの法律や税金の対象外なのです。
アメリカ人専用の、郵便局・裁判所・学校もあります。
まさに国家の中に、別の国家があるのです。」
フィデルは続けた。
「パナマ人の年間収入は、平均で1000ドル未満です。
失業率は30%です。
さっき案内したスラム街では、仕事のある人はほとんど居ません。
トリホスは、本気で現状を変えようとしています。
彼は人々のために闘う男なんです。」
その後のある日、私はトリホス将軍の別荘に招かれた。
トリホスは、軽装でリラックスしていた。
彼は、イラン国王のモハンマドに強い関心を持っていて、こう述べた。
「モハンマド国王は、自分の父親を追い落としたあげく、CIAの操り人形になった。
彼の秘密警察サバクは、冷酷な人殺し集団と見なされている。
彼の政権はそう長く続かないだろう。」
トリホスは言葉を続けた。
「私達は、運河を持っている。
グアテマラでアルベンス大統領が農民に売却した、ユナイテッド・フルーツ社の持っていた土地よりも、パナマ運河ははるかに重大だ。 」
ユナイテッド・フルーツ社は、中米で最大企業の1つだ。
1950年代初めのグアテマラでは、民主的な選挙でハコボ・アルベンスが大統領になり、農地改革をした。
当時のグアテマラでは、3%未満の人々が国土の70%を所有していた。
アルベンスは、貧しい人々に土地を与えたのだ。
トリホスは語った。
「中南米の中流以下の人々はみな、アルベンスを賞賛した。
私たちは、固唾を飲んで成り行きを見守っていた。
ユナイテッド・フルーツ社は、コロンビア、パナマ、コスタリカ、キューバ、ジャマイカ、ニカラグア、サントドミンゴにも、広大な農園を持っていた。」
ユナイテッド・フルーツ社は、アメリカで大規模な宣伝工作をし、ハコボ・アルベンスは共産主義者でソ連の手先だと大衆や議会に信じさせた。
そして1954年に、CIAがグアテマラでクーデターを首謀した。
米軍機は首都グアテマラ・シティを爆撃し、アルベンス大統領は失脚させられて、冷酷な独裁者カスティーリョ・アルマスが政権に就いた。
新政権はユナイテッド・フルーツ社と結託し、農地改革を帳消しにして、外国人投資家を優遇し、批判する国民を数多く投獄した。
トリホスは言った。
「アルベンスは、政治的に暗殺されたのだ。
君たちアメリカ人は、どうしてCIAのたわ言を鵜呑みにした?
私は、そう簡単にはやられない。」
トリホスが、私に訊いてきた。
「ユナイテッド・フルーツ社の持ち主は誰か、知っているか?」
「ザパタ石油、我が国の国連大使ジョージ・ブッシュの会社です。」
「彼は、野心を持つ男だ。
私は今、べクテル社の彼の旧友たちと対決している。」
その言葉に、私は驚いた。
べクテル社は世界有数のエンジニアリング会社で、私の勤めているメイン社と連携する機会も多い。
トリホスは説明した。
「我が国は、新しい運河の建設を検討している。
より大きな船舶が通行可能になるよう、改めるのだ。
日本が資金提供に興味を持っていて、もし日本がカネを出せばもちろん建設は彼らがやる。
(運河建設の受注を狙う)べクテル社には、ニクソン大統領やフォードやブッシュの盟友がたくさんいる。
べクテルの人脈が共和党を操っていると、私は聞いている。」
私は話を聞いていて、『彼はエコノミック・ヒットマンのやり口を知っている』と確信した。
「将軍、一体なぜ(エコノミック・ヒットマンの)私をお呼びになったのですか?」
トリホスは笑顔を浮かべた。
「我が国は、君の手助けを必要としている。
我々は、運河をこの手に取り戻す。
だが、それだけでは十分ではない。
我が国は、手本にならなければならない。
ロシアや中国に操られずに、アメリカとも敵対せずに、貧しい人々の権利を守れることを、世界に証明するのだ。
そのためには、経済的な基盤を築かなければならない。
これを実現するには、世界銀行や米州開発銀行のカネが必要だ。」
トリホスは身を乗り出し、私の目をじっと見つつ言った。
「君の会社は、開発プロジェクトの規模を必要以上に膨らませて、より多くの仕事を手に入れようとする。
だが、今回はそうはいかない。
国民にとって一番いい計画を提示してくれ。
そうすれば仕事は全部やろう。」
彼の提案は、ぞくぞくするものだった。
私がメイン社で教えられた事のまるで逆をやれと、彼は言うのだ。
間違いなく彼は、対外援助ゲームのペテンを知っていた。
援助をしてその国を借金づけにし、アメリカの思いのままにする手口を。
別れの挨拶をする頃には、メイン社は契約をとりつけ、私は彼の言いつけに従う事を了解していた。
(2015.7.1~3.)