(『エリア51』アニー・ジェイコブセン著から抜粋)
ネヴァダ州にあるエリア51には、「地下トンネルと掩蔽壕の複合体が地下に張りめぐらされ、よその軍事施設と地下トンネルで繋がっている」との説がある。
いつくかの著作もあるマイケル・シュラットは、こう語る。
「秘密施設がエドワーズ空軍基地の北方基地とパームデールの空軍プラント42に直結しているのは間違いない。
エリア51がオハイオ州のライトパターソン空軍基地と繋がっている可能性も非常に高い。
地下トンネルは1日に4.8kmを掘削できる原子力ドリルで掘られており、トンネルは核戦争の際に政府指導者が避難できる施設とも地下列車で結ばれている。」
数十年前に、「Nトンネル、Pトンネル、Tトンネル」と呼ばれる地下トンネルが、エリア51付近に掘られたのは事実だ。
エリア25に掘られた全長350mの地下トンネル(※これは『プロジェクト・オライオン』に書いてあります)は、ネヴァダ核実験場にある地下トンネルの一例にすぎない。
1960年代には、エリア12に全長1.4kmのトンネルが掘られている。
アメリカの各地に政府の掩蔽壕があるが、その1つであるグリーンブライアー掩蔽壕の存在を、ワシントン・ポスト紙のテッド・ガップ記者が1992年に暴いている。
グリーンブライアー掩蔽壕は、ワシントンの南西400kmのアレゲーニー山脈内にある。
国防総省は1959年から、ここにあるホテルの地下に面積1万460平方kmの掩蔽壕を造り、62年に完成している。
そして大統領や一部の議員が核攻撃があった際に生活することになっていた。
ネヴァダ核実験場のトンネルと掩蔽壕は、ほとんどがエリア51から西25kmのレーニア・メサという山脈地帯にある、エリア12に造られている。
このトンネル複合体は、1957年に建造が始まり、掘削工たちは24時間休みなく掘り続けたが、1つのトンネルの完成に平均1年かかった。
多くは地下400mを走り、地下1.6kmに造られているものもある。
原子力委員会と国防総省は、このトンネル内で少なくとも67発の核爆弾を炸裂させた。
「パイルドライバー実験」と呼ばれた一連の実験では、地下壕で核攻撃にどの程度まで耐えられるかが研究された。
「ハードタック」というテストでは、メガトン級の核爆弾でミサイル格納庫や司令部といった敵の標的をいかに破壊するかが研究された。
Tトンネルには、宇宙空間を再現する真空室が造られ、宇宙空間での核爆発も研究された。
リチャード・ミンガスは、この地下トンネルで核爆弾の警備にあたった人だが、こう回想する。
「トンネル内はとても汚く、空気も悪かった。
人は大勢いて、皆ちがう仕事をしていた。
核爆弾はトンネルの奥深くのゼロ・ルームと呼ばれる一室に入れられ、セメントで固められた。
そこまでの距離はおよそ1.2kmだった。」
機材の多くは線路で運ばれたが、それがエリア51の地下に列車が走っているという説を生む原因となった。
1963年に『部分的な核実験の禁止条約』が調印されると、アメリカ政府は地下核実験を機密扱いにした。
ただし、現地から104km南のラスヴェガスで「地震のような揺れがあるだろう」と予報が出た場合、それが核実験の告知となった。
そのようにして、1963年から92年までに地下テストは約800回も行われた。
エリア51のあるグルーム湖では、1960年代を通して最低でも月に1度は、夜明け前に地下核実験の震動と轟音で、基地のスタッフは叩き起こされた。
アメリカ政府は『部分的な核実験の禁止条約』に備えて、調印前の1961年9月から、調印後の64年12月にかけて、126発もの核爆弾をネヴァダ核実験場の地下トンネルで炸裂させた。
この核実験の半数近くで、大気圏への放射能漏れが発生している。
核実験で主役を担ったのは、『原子力委員会』である。
この機関は元は『マンハッタン計画』と呼ばれたが、1947年にAEC(原子力委員会)に改称された。
その後、1975年に『ERDA(エネルギー研究開発庁)』に名を変え、77年には『エネルギー省』にまた名を変えた。
2000年には、エネルギー省の核兵器部門の名称が変更されて、『NNSA(国家核安全保障庁)』となった。
2010年8月にはネヴァダ核実験場も改称されて、『NNSS(ネヴァダ国家安全保障施設)』になった。
核兵器の開発や製造をする機関が、何度も名称を変えたのは、そうすることで非道な秘密を消し去れると考えたからなのだろうか?
実際に、多くの記録が消えているのだ。
(2021年7月2日、8月15日に作成)