イラクを傘下に入れようとするが、サダム・フセインは拒否する

(『エコノミック・ヒットマン』ジョン・パーキンス著から抜粋)

レーガン=ブッシュ政権は、イラクをサウジアラビアのような政策の国に変えようとした。

(アメリカがサウジアラビアに行った工作については、こちらのページを見て下さい)

サウジがアメリカから特別扱いを受けている事に、イラクのサダム・フセインは気付いていたはずだ。

ワシントンは、サウジの「過激派への資金提供」「国際犯罪人のかくまい」などについて、見て見ぬ振りをしていた。

それどころか、アフガニスタンでソ連と戦うオサマ・ビンラディンへの資金提供をするように、サウジに要請した。

1980年代に、エコノミック・ヒットマン(EHM)はイラクのバグダッドで活発に活動した。

(※1980年代は、イラクはイランと戦争をしていて、アメリカはイラクを支持していた)

もしサダム・フセインが、アメリカ政府とのビジネスに合意したなら、イラクを支配するお墨付きを手中にできた。

アメリカへの原油供給を約束し、手にしたオイルマネーでアメリカ国債を買って、その利子でアメリカ企業を雇ってイラク国内のインフラ整備や開発をするならば、アメリカはフセイン政権を支持し続けただろう。

そしてアメリカは、フセインに兵器を売り、イラクに化学薬品工場や原発を建設しただろう。

イラクは、石油だけでなく水資源も豊かだ。

1980年代になると、水資源の重要性が再認識され、大企業の多くが水道事業の民営化に目を向け始めていた。

イラクはさらに、地政学的にも重要だ。

イラン、クウェート、サウジアラビア、ヨルダン、シリア、トルコと国境を接し、ペルシア湾にも面している。

今日では、『イラクを支配する者が、中東支配の鍵を握ること』は常識である。

しかしながら、1980年代の終わりには、フセインがEHMの筋書き(アメリカの筋書き)に乗る気がないことは明白となった。

ブッシュ政権にとって、これは重大な失敗だった。

1990年8月にイラクがクウェートに侵攻すると、1年前に自分自身が国際法に違反する『パナマ侵攻』をしたのを棚に上げて、ブッシュ大統領は「国際法違反だ」と非難した。

ブッシュ大統領は、イラクへの全面的な軍事攻撃を命じ、50万人の米軍が送り込まれて、大規模な空爆も行われた。(湾岸戦争のこと)

アメリカ国内では、ブッシュ政権の支持率は90%に跳ね上がった。

(2015.7.8.)


『アメリカ史 1980年代』 目次に戻る

『アメリカ史』 トップページに戻る

『世界史の勉強』 トップページに行く

『サイトのトップページ』に行く