(『世界歴史大系 アメリカ史2』から抜粋)
1955年12月に、黒人たちはバスへのボイコットを始め、1年後に勝利した。
このボイコット運動の中心に、26歳のキング牧師がいた。
キング牧師は、南部出身でありながら大学院まで進学しており、南部では数少ない黒人のインテリだった。
彼は、北部の大学で教職につく誘いを断って牧師になり、ヘンリー・ソロやガンジーの思想に共鳴していた。
キング牧師は公民権運動を、人種間の闘争とはせず、『正義と不正義の闘争』と位置づけ、「愛によって勝つこと」を説いた。
市当局はキングらを逮捕し、キングの家には散弾銃が撃ち込まれた。
キングたちの活動は、黒人教会を中心にして行われたので、赤狩りはまぬがれた。
最高裁は、「バス内での人種隔離は違憲である」と判決を下し、キングの名は広く知れ渡った。
アイゼンハワー大統領は、1957年に『公民権法』を成立させた。
これは、リンカーン以来の公民権法だった。
(2013.12.26.作成)