水素爆弾(水爆)の実験

(『エリア51』アニー・ジェイコブセン著から抜粋)

1951年にアメリカが太平洋で行った『グリーンハウス作戦』は、新種の核兵器「水素爆弾(水爆)」の実験だった。

この爆弾は、核融合を利用するもので、その巨大な破壊力から「実験中に世界全体の大気圏が燃え出すのではないか」と反対する科学者もいた。

科学者の意見は完全に分かれ、推進派の筆頭はエドワード・テラー、反対派の筆頭は「原爆の父」ロバート・オッペンハイマーだった。

ロバートは「文明を滅亡させる兵器だ」と反対したため、開発計画から外された。

1952年秋の『アイヴィ作戦』では、10.4メガトンという想像を絶する出力の水爆(暗号名はマイク)が実験された。

この時は6名のパイロットが、放射性物質の収集のためキノコ雲の中を飛行した。

パイロットの1人はハーヴィ・ストックマンだったが、こう回想する。

「熱核爆弾(水爆)は大きな野獣だった。
爆発すると、地球の大気圏を突き抜けて宇宙まで到達するんだからね。」

6名のパイロットの中に、空軍のジミー・ロビンソンもいた。

彼はF-84Gでキノコ雲の柱を突っ切った直後、無線でこう伝えている。

「放たれた光は赤かった。真っ赤に燃える溶鉱炉に入った様だった。」

その後に彼は、放射線測定機器の針が回転する様子を、「まるで腕時計の秒針のようだ」と説明している。

ジミー・ロビンソンは4時間近くもキノコ雲に入って破片の採取を続けたが、給油の時間になって水爆の電磁パルスで無線標識の受信機が破壊されているのに気付いた。

これでは空中給油機の位置を特定できない。

彼はエニウェトク島に戻るよう指示されたが、やがて燃料が空になりエンジンが停止した。

機体には放射線から守るため鉛の内張りが施してあり、さらに彼は鉛の裏地がついたベストを着用していた。

そのため上手く脱出できず、機体ごと海に沈んだ。

遺体が収容される事はなく、家族がその死を知ったのは情報公開の請求がようやく認められた2008年だった。

水爆「マイク」の爆心だったエルゲラブ島は、跡形もなくなった。

島は丸ごと消失し、8000万トンのサンゴが粉々に砕かれて高層大気圏へと舞い上がった。

2011年の衛星写真では、かつてエルゲラブ島が存在した場所に、海水で満たされた黒いクレーターが写っている。

(2020年7月24日に作成)


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