(『世界歴史大系 アメリカ史2』から抜粋)
アイゼンハワー政権は、国防長官にはGMの社長を、内務長官もGM出身者を起用した。
閣僚の大部分は、保守派の実業家で占められた。皆が金持ちだった。
新政権は、インフレ抑制と均衡財政を重視した。
軍事では、通常兵力を減らして、原水爆と空軍を強化する『ニュールック戦略(大量報復戦略)』を採用した。
原爆開発の時には中心的だったオッペンハイマー博士は、水爆の開発には消極的だったため、排除された。
アイゼンハワー政権は福祉と教育の予算を減らして、1956&57年には黒字予算を実現した。
彼らは、それまでの民主党政権が行ってきたニューディール政策を全面否定はできず、53年には「保健・教育・厚生省」を創設した。
20年ぶりの共和党政権だったが、政府権限の拡大、軍拡、貿易の自由化など、それまでの政策の継続性が特徴的である。
ニューディール改革の伝統は、無視できなかったのだ。
ドワイト・アイゼンハワーは、トルーマン政権時代の「封じ込め戦略」を、消極的と批判して当選した。
そのため、ソ連に圧力をかける政策を採り、米ソの緊張が増した。
(2013年10月17日に作成)