(『世界歴史大系 アメリカ史2』から抜粋)
ドワイト・アイゼンハワー大統領の「核兵器における優位確保の政策」は、原子力やミサイル・電子などの特定産業を肥大化させた。
これらの新興産業は、軍部・官僚と癒着した。
こうした産業は、開発費のほとんどを政府に依存していた。
アイゼンハワーの1961年1月の告別演説(退任演説)は、軍産複合体が主要なテーマだった。
彼は、「軍と産業の癒着によって、自由が脅かされている」と警告した。
彼は軍人の出身であり、この発言は国民には意外なことだった。
しかし当時は、JFKの当選に国民の関心は集中していて、重大には受け止められなかった。
彼は、「この癒着は、第2次世界大戦の前には見られなかった」と述べた。
第2次世界大戦の時期は、大きな技術革新の時期であった。
大学をも巻き込んだ多数のプロジェクトが行われて、中でも12万人を動員した『マンハッタン計画(原爆の開発計画)』は、「軍産官学の協同」の先駆となった。
大戦後も軍事費は多かったが、それは恐慌回避の対策の意義もあった。
その後、ソ連や中国が敵国となると、大規模な軍事体制が当然視されるようになった。
軍産複合体への大規模な批判は、1960年代に、ベトナム戦争への批判に連動して起こった。
そして、「コスト度外視の非効率性」「天下り」「軍縮の妨害」「福祉予算の圧迫」などが問題となった。
(2013.10.17.作成)