(『世界歴史大系 アメリカ史2』から抜粋)
1950年にテレビを保有する家庭数は、390万世帯だった。
しかしテレビは急速に普及して、50年代の半ばには全世帯の88%が保有するに至った。
テレビは、一気に中心的な情報伝達手段となり、映画は急速に減少していった。
企業は宣伝料を支払ってテレビCMを流すようになり、大衆はますます購買心をかきたてられた。
テレビは、「文化の画一化」という問題を引き起こした。
1950年代は、「コンセンサスの時代」と呼ばれて、不平等や不安定は終わったとするガルブレイスの著書『豊かな社会』がベストセラーとなった。
アメリカは、世界一の豊かな国となり、自己満足的な風潮となった。
学生たちも政治に無関心となり、「沈黙の世代」と呼ばれるほどだった。
マイケル・ハリントンは、1962年に『もう一つのアメリカ』を書いて、「スラムや山中には数千万人の貧しい人がいるのに、見えない存在になっている」と告発した。
第2次大戦後には、女性は解雇されて家庭に戻っていった。
(大戦中は、女性達の多くも動員されて、働かされていた)
そして、家事・育児に専念する主婦像が、理想としてテレビなどで宣伝された。
また、宗教への関心が高まり、テレビ伝道が高視聴率となった。
高学歴の者は、内面の自立よりも順応を重視するようになり、「他人志向」の傾向となった。
その一方では、物質主義に疑問を持つ『ビートニク』が生まれて、「マリファナを吸おう」と発言した。
これは、1960年代の「ヒッピー」の先駆者だった。
また、1955年の映画「理由なき反抗」(ジェームズ・ディーンの代表作)や、54年のエルビス・プレスリーのデビューなどにより、独自の若者文化が形成され始めた。
彼らは、1929年からの大恐慌を経験していない世代で、豊かさだけでは満足しなかった。
ベビーブーマー世代の親達は、厳しいしつけよりも子供の自覚を重視して育児をし、それは60年代の改革運動の担い手を登場させる事になる。
(2013.10.17.作成)