(エコノミック・ヒットマン』ジョン・パーキンス著から抜粋)
南米の国エクアドルでは、長い間アメリカによって操られる右派の独裁政権が続いてきた。
アメリカの支配グループは、この国に深く食い込んでいた。
1960年代の終わりに、アマゾン川流域で石油の大規模な採掘が始められ、エクアドルの支配層はまんまと国際金融機関の術中に陥った。
石油収入が見込めると説得されて、莫大な借金をして国中でインフラ開発をしたのだ。
国際的な建設会社(アメリカの大企業、べクテル社など)は、またしても大儲けした。
ところが、ハイメ・ロルドスがエクアドルの指導者として登場した。
彼は大学教授で、30歳代の終わりでカリスマ性があり、大衆の意思を重んじる政治家だった。
そして、1979年の大統領選挙で当選した。
ロルドスは、現状と闘うことを恐れない、稀に見る政治家だった。
アメリカ資本の石油会社を糾弾し、アメリカに本部を持つ福音派の伝道団「SIL」が石油会社と共謀していると告発した。
SILは、「石油が埋蔵されている可能性が高い」と地震学者が報告すると、そこへやって来て、住民に「伝道組織の居留地に行けば、豊かな生活ができる」と勧めていた。
(※地震を分析すると、地中に何があるかが分かる。
実は、地震学者の多くは、地中の資源を分析するのを主にしている。)
SILは、住民を居留地に移住させるために、様々なあくどい手段を使った。
SILは、ロックフェラー財団から資金を得ている。
ロルドスは、「SILは、土地を奪い石油開発をするための隠れ蓑だ」と主張した。
ロスドスと、パナマ指導者のトリホスは、「自国の運命を決める権利は、自分たちの手にある」と考える愛国主義者だった。
カーターがアメリカの大統領だった事が、幸いした。
カーターは、石油企業の圧力にも関わらず、干渉を控えた。
他の政権だったら、そうはいかなかっただろう。
ロルドスは、テキサコ社などの石油会社と、対等の関係になれるように交渉を始めた。
1980年11月に、ロナルド・レーガンが大統領選挙でカーターに勝利した。
石油依存を軽減しようと心を砕いていたカーターから、あらゆる石油を管理下に置くことを目指すレーガンに代わった。
カーターはホワイトハウスの屋根にソーラーパネルを設置していたが、レーガンは就任と同時にそれを撤去させた。
振り返ってみれば、カーターはアメリカの理想を取り戻そうとした、異例な大統領だった。
それに対してレーガンは、アメリカの支配グループの手先だった。
一見すると彼に仕えているようでありながら実は政府を動かしている人々(副大統領のブッシュら)に、仕えていたのだ。
1981年初めに、ロルドスは国会に石油や天然ガスに関わる法案を提出した。
これが施行されれば、国と石油会社の関係を改めることになる。
石油会社は、予想通りの反応を示した。
アメリカでロビー活動をし、ロルドスをカストロの再来のように色づけした。
しかしロルドスは屈せず、SILの締め出しを命じた。
そして全ての外国企業に対して、「エクアドル国民のためになる計画を実行しない限り、この国から追い出す」と警告した。
1981年5月24日に、ロルドス大統領はヘリコプターの爆発事故で落命した。
ラテンアメリカ諸国の新聞は、こぞって「CIAによる暗殺!」と報じた。
事実が明らかになるにつれて、疑いは濃厚になった。
エクアドル大統領の座は、オズバルト・ウルタドが継いだ。
彼はSILと石油会社を復活させ、テキサコ社などによる石油開発の計画を許可した。
(2015.7.3&7.)