日本の統治
途中で方針を大転換する

(『世界歴史大系 アメリカ史2』から抜粋)

日本が1945年8月に降伏すると、日本はアメリカ軍・マッカーサー司令官の下で、民主化が実行されていった。

日本は連合国の占領下に置かれたが、占領したのはアメリカ軍だったために、事実上はアメリカの単独占領となった。

アメリカは、既存の日本政府を温存させて、間接統治する方法を採ったため、天皇などが存続する事になった。

アメリカの方針で、「戦犯の処罰」「非軍事化」「人権の保障」「政治犯の釈放」「婦人解放(女性の参政権)」「財閥解体」「農地改革」「憲法改正」 など、徹底した民主化が実施された。

これは、日本が再び脅威とならぬように、政治・経済の解体を重視したためである。

しかし冷戦が始まり、アメリカが期待をかけて支援していた中国の蒋介石政権が弱体化を始めると、対日政策は経済復興を重視するように方向転換した。

方針の転換は、1948年1月の陸軍長官による「日本を反全体主義の防波堤にする。そのため財閥解体を停止して、経済復興をはかる。」という演説から始まった。

そして、公職追放されていた人の追放解除が進行した。

(この方針の大転換は、『逆コース』と呼ばれています。)

朝鮮戦争が1950年6月始まると、それに対応して、日本では50年8月に「警察予備隊(後の自衛隊)」が創設された。

そして、9月には沖縄を分離する事になり、米軍基地を存続させる対日講和の原則を決定した。

この原則に基づいて、51年9月にサンフランシスコで、『対日講和の条約』と『日米の安保条約』が調印された。

(2013.10.10.作成)


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