第二次大戦が終わると、ソ連との秘密工作の戦いが始まる

(『CIA秘録』ティム・ワイナー著から抜粋)

第二次大戦が終わった時、OSSの幹部だったアレン・ダレスはベルリンに居り、彼の右腕のリチャード・ヘルムズはソ連へのスパイ活動を始めていた。

リチャード・ヘルムズは、かつては通信社の記者で、1936年のベルリン・オリンピックの時にはヒトラーの単独インタビューをものにしていた。

ヘルムズは、ナチス・ドイツの科学者やスパイを探して、アメリカのために働かせようとした。

しかし彼の任務は、まもなくソ連陣営の監視に移っていく。

ソ連は、東ドイツの鉄道を接収し、政党を取り込もうとしていた。

ヘルムズらは、ソ連の進出に危機感を持ち、幹部の反対を押し切って、東ドイツにスパイ網を構築するためにドイツ人のリクルートを始めた。

だが、45年11月までにソ連は東ドイツを完全に支配下に入れた。

統合参謀本部やジェームズ・フォレスタル海軍長官は、「ソ連は、ナチスがしたようにヨーロッパ全体の支配を目指すのではないか」と恐れを抱き始めた。

フランク・ウィズナーは、軍服を着たやり手の弁護士で、1944年9月にOSSの支部長としてルーマニアのブカレストに派遣された人だ。

当時のブカレストは、ソ連の赤軍と小規模のアメリカ軍が支配していた。

ウィズナーは、若いミハイ国王と謀議をこらしたり、ビール王が所有する大邸宅を接収したりしつつ、ロシア人を監視した。

真冬になる頃には、ロシア人は首都ブカレストを支配し、ドイツ人の血を引くルーマニア人を数万人も列車で東方に送り、奴隷状態か死に追いやった。

ウィズナーはショックを受けつつ、ドイツのOSS本部に撤収した。

OSSは、第二次大戦が終わると『中央情報グループ』に改組され、ホイト・バンデンバーグが長官となった。

同グループの特別工作室は、1946年の後半に、ルーマニアで地下組織の構築に乗り出した。

ルーマニアには、ソ連が進出していた。

国防総省は、「ソ連の進出を抑えるには、赤軍の補給線をルーマニアで絶つのが最上の策だ」と決めていた。

ホイト・バンデンバーグ長官は、アイラ・ハミルトン中尉とトマス・ホール少佐に、「ルーマニア全国農民党を、抵抗勢力に育て上げろ」と命じた。

ホール少佐は、かつてOSSの要員だった。

ハミルトンとホールをサポートしたのは、フランク・ウィズナーが2年前に雇っていた工作員、セオドア・マナカタイドだった。

マナカタイドは、アメリカの軍事使節団で通訳を任され、夜はスパイとして働いていた。

ハミルトンとホールは、ルーマニア全国農民団に武器と資金の提供を申し出た。

さらに、元外相ら要人6人を密かにオーストリアに亡命させて、将来の解放運動のリーダーにしようとした。

1946年10月6日に、6人は鎮静剤を飲まされて、郵便物用の袋に入れられて、飛行機で運び出された。

ソ連の諜報組織とルーマニアの秘密警察は、この動きを数週間で嗅ぎ出した。

アメリカ工作員は命からがら逃げ出し、農民党の指導者は反逆罪で投獄された。

ハミルトン、ホール、マナカタイドの3人は、公開の欠席裁判で有罪判決が出た。

47年春までに、戦時中にアメリカに協力した者は、投獄されるか殺害された。

そしてルーマニアは、独裁が支配するようになった。

(2015年1月18日に作成)


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