(『ルーズベルト秘録』産経新聞出版から抜粋
2012年11月19日にノートにとって勉強した)
1941年8月9日に、ルーズベルト大統領はカナダのニューファンドランド島の沖へ行き、英国のチャーチル首相と初めて会った。
ルーズベルトはこの時、「英国とドイツの金融家たちは、一緒になって世界貿易を支配してきた。両国は世界貿易から米国を締め出してきた。ナチズムは憎むべきものだが、 米国が英国の救援に駆けつけるとは限らない。」と話した。
この会談で米国側は、インドなど英国に属する諸国と英国が結んでいる「特恵貿易の協定 (オタワ合意)」に異を唱えた。
英国は1932年のオタワ合意で、自分の植民地から外国製品を締め出していた。
大西洋会談では、最終日となった8月14日に、『大西洋憲章』を発表した。
そこには「民族自決」と「自由な通商」が盛り込まれた。
米国政府は、世界レベルでの植民地解放と自由な貿易を求めていた。
ルーズベルトは、植民地を解放する事で(植民地をたくさん持つ)英仏などを衰退させ、自由貿易によって米国が覇者となるビジョンを描いていた。
この憲章に署名して以来、チャーチルは英議会で「植民地解放は大英帝国の崩壊を意味する」と叩かれる事になった。
(2024年11月20日に作成)