終戦時の中国情勢

(『ルーズベルト秘録』産経新聞出版から抜粋
2012年11月13日にノートにとって勉強した)

原爆投下後の1945年8月11日に、トルーマン大統領はアメリカ軍の司令官であるマッカーサーとニミッツに秘密指令を送った。

その内容は、「中国の大連港と、朝鮮の京城港を、日本の降伏と同時に占領せよ」だった。

この時期、ソ連の指導者スターリンは力を背景に、ヤルタ協定以上の権益を得ようとしていた。

(※だが大連港は、ヤルタ協定ではソ連が支配することをアメリカ側が認めている)

結局、ソ連軍はあっという間に満州全域を占領してしまい、トルーマンは秘密指令を撤回せざるを得なかった。

大連港と満州鉄道のソ連権益を認めた中ソ条約(中国の国民党政府がソ連と結んだ条約)が、1945年8月14日に発表された。

国民党の指導者である蒋介石は、中国共産党をソ連が支援しないという約束の代償として、条約締結に応じた。

第二次大戦の終結から2ヵ月後の10月になると、天津では奇妙な光景が展開されていた。
アメリカ軍と旧日本軍が共になって、中国共産党の軍と戦っていたのである。

アメリカ軍は、沖縄から中国へ上陸して以来、戸惑いを隠せなかった。
日本軍兵士は従順に武装解除をしたが、逆に味方のはずの中国人から憎悪の目でにらまれたからだ。

ちなみに旧日本軍と米海兵隊の終戦直後の協力は、マイケル・シャラー著の『中国の米十字軍』に詳しく書かれている。

ソ連軍が8月8日に満洲になだれ込んで以来、中国北部は混乱し、毛沢東(中国共産党)の活動が強まるばかりだった。

アメリカはソ連が中国共産党を支援していると疑い、中国国民党を支援するためにアメリカ軍を中国に進出させた。

スターリンはヤルタ会談で、「モンゴル共和国をソ連の勢力圏に入れるのと引き換えに、中国の独立は認める。毛沢東ではなく蒋介石を支援する」と、ルーズベルト大統領に誓っていた。

しかし、東欧のハンガリーがソ連軍の進出によってソ連だけの勢力圏へと急転したのと同じ状況が、中国でも起きていた。

(2024年11月20日に作成)


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