ウラン型とプルトニウム型の、2種類の原爆が投下された

(『そうだったのか!現代史2』池上彰著から抜粋)

広島に落とされた原爆と、長崎に落とされた原爆は、材料も形状も異なる。

広島に落とされたものは、ウランを使用している。

長崎に落とされたものは、プルトニウムを使用している。

「広島型」に使われるウランは、ウラン235で、天然ウランの中に0.7%しか存在しない。

そこで、天然ウランからウラン235を取り出して、濃縮する必要がある。

濃縮度を92%以上に高めることで、核兵器に使用できる。

「長崎型」は、プルトニウム239を純度93%以上に精製する事で、核兵器にする。

ウラン238に中性子を当てると、プルトニウム239に変化する。

長崎型は、百万分の一秒の正確さで、起爆剤を爆発させる必要がある。

そのため、投下の前にアメリカで実験が行われた。

広島型は、原理が簡単なので、実験をすることもなく投下された。

原子爆弾としては、プルトニウム型の方が優れている。

ウラン235の濃縮には、大量のエネルギー(電気)や時間がかかる。

それに対しプルトニウム239は、小型の原子炉があれば製造できる。

プルトニウム型は小型かつ軽量に作れるので、核ミサイルにも搭載しやすい。

このため、核兵器の保有国たちは、プルトニウム型を所持している。

1945年の春に、アメリカは原爆をどの都市に落とすかの検討に入った。

当初に予定されていたのは、小倉、広島、新潟、京都であった。

最初の3つの都市には軍需工場があり、京都は空爆を全くしていないので(街がそのまま残っており)原爆の威力を評価しやすかった。

そうしたところ、陸軍長官のヘンリー・スティムソンは、京都への投下に反対した。

彼はかつて京都を訪れた事があり、「京都の美しさを知っていたからだ」と言われている。

「日本の古都を破壊すれば、占領後に悪影響が出ると心配したからだ」という説もある。

そして京都の代わりに、長崎が候補に追加された。

1945年8月9日に、原爆を積んだ爆撃機は、小倉を目標にして出発した。

ところが、小倉上空は雲に覆われていた。

そこで爆撃機は、長崎に向かった。

小倉上空の雲の存在が、小倉市民と長崎市民の運命を決めた。

(2013年12月21日に作成)


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