(『早わかり世界近現代史』から抜粋)
冷戦とは、第2次世界大戦後に「アメリカ陣営(自由主義陣営)」と「ソ連陣営(社会主義陣営)」の間で戦われた、『直接の戦争には至らない、核軍拡を軸にすえた戦争』のことである。
冷戦には、イデオロギーの対立、軍拡競争、覇権争い、の3つの側面があった。
米ソの両国は、膨大な金と物資を投じて、冷戦を維持し続けた。
1960年のアメリカは、ヨーロッパには30万人、アジアには16万人の軍隊を駐屯させて、海外の軍事基地は220を超えていた。
○ NATOの結成
1948年2月のチェコ政変は西側陣営に衝撃を与え、それが軍事同盟結成の契機となった。
ベルリン封鎖が終了する直前の1949年4月に、アメリカのワシントンで、『NATO(北大西洋条約機構)』が成立した。
この軍事同盟では、「参加国が攻撃を受けた場合は、同盟全体への攻撃と見なす」と定めた。
参加国は、アメリカ・イギリス・フランス・イタリア・カナダ・ベルギー・オランダ・ルクセンブルク・ノルウェー・デンマーク・アイスランド・ポルトガルの12カ国である。
後には、トルコ・ギリシア・西ドイツ・スペインも加わった。
1966年には、アメリカ主導に反発したフランスは脱退した。
○ ワルシャワ条約機構の結成
ソ連は、NATOに対抗して、東欧各国と相互援助条約を結んでいった。
そして、1955年にそれらを統合して、『ワルシャワ条約機構』という軍事同盟を結んだ。
この参加国は、ソ連・ブルガリア・チェコスロヴァキア・ハンガリー・東ドイツ・ポーランド・ルーマニア・アルバニア(68年に脱退)の8カ国である。
○ 冷戦は全世界に拡がる
1949年10月に、中国共産党が国民党との内戦に勝利し、『中華人民共和国』が誕生した。
これにより、アメリカは勢力圏だった中国を失い、ソ連への「封じ込め戦略」が挫折した。
(アメリカは蒋介石が率いる国民党を支援していたが、蒋介石は敗れて台湾に逃げた)
さらに朝鮮戦争後には、東西陣営の対立は世界規模に拡大した。
東アジアでは、朝鮮は南北で分断されて、台湾海峡が対立点となり、日本は「日米安全保障条約」で西側に組み込まれた。
(『世界歴史大系 アメリカ史2』から抜粋)
○ 冷戦の起源について
長らく冷戦の起源については、「ソ連の膨張政策にある」とされてきた。
しかし1970年頃に、1940年代後半の外交文書の公開が進み、アメリカの「門戸開放」を求める「帝国志向」が発端となった、とする見方が有力になった。
○村本のコメント
私は、帝国とは軍事力のある国がなるものと思っていました。
でも、近代になると生産力が必須であり、帝国は商品を売る事で成立するものだと分かりました。
それにしてもアメリカは、今でもTPPなどで門戸開放を求めて、自分に従属するように仕向けていますね。
日本とアメリカは、国の大きさが違いすぎるほど違います。
それなのに、関税を撤廃しきって、同じ土俵で相撲を取ろうとすること自体が、おかしいのです。
先日に、オリバー・ストーンさんが制作したアメリカ史(全10回のテレビ番組)を見ました。
これは2012年の制作ですが、冷戦については『アメリカが仕掛けたもの』と解釈・解説しています。
とても面白い作品なので、ぜひ見て下さい。
(2013.10.10.作成)