(『CIA秘録』ティム・ワイナー著から抜粋)
ワシントンのジョージタウンにあるフランク・ウィズナーの屋敷は、1947年になるとアメリカの安全保障問題の権力者たちの拠点となった。
日曜日の夕食には、やがてパリ駐在大使になるデービッド・ブルース、やがてモスクワ駐在大使になるチップ・ボーレン、ロバート・ロベット国務次官、やがて国務長官になるディーン・アチソン、ソ連専門家として名を上げてきたジョージ・ケナンが参集した。
彼らは、「自分たちの使命は、ソ連によるヨーロッパ支配を阻止することにある」と考えて、その方向でアメリカ外交政策を形作っていく。
当時は、ソ連はバルカン半島で支配を固めつつあり、ギリシャでは左派ゲリラが王制派と戦っていた。
イタリアとフランスでは食料暴動が発生して、共産主義の政治家がゼネストを呼びかけていた。
イギリス帝国は没落しつつあった。
アメリカのジェームズ・フォレスタル海軍長官は、「ソ連の脅威」を声高に唱えるジョージ・ケナンを支持し、パトロンとなった。
フォレスタルは、ウォールストリートの寵児といわれた人物で、共産主義を狂信的な信念と見なしていた。
国務長官のジョージ・マーシャルは、1947年春に、ケナンを国務省の政策企画局の責任者にした。
ジョージ・ケナンは、『冷戦』と名付けられる事になる新しい戦争の、計画を立案していった。
そして6ヵ月後には、「トルーマン・ドクトリン」「マーシャル・プラン」「CIAの創設」という3つを生み出した。
この頃になると、アメリカ国内では共産主義への恐怖が煽られ、ジョゼフ・マッカシー議員やリチャード・ニクソン議員が「反共の闘士」として支持を集めつつあった。
トルーマン大統領も、「スターリンのソ連は世界の悪」と確信するようになっていた。
トルーマン大統領とディーン・アチソンは、アーサー・バンデンバーグ議員を呼び出した。
そして、「共産主義がギリシャに根付くと、西ヨーロッパ全体が脅かされる。ギリシャを支援するための予算を、議会で認めてほしい。」と伝えた。
(※アーサーは、中央情報グループ(CIAの前身)長官のホイト・バンデンバーグの叔父にあたる)
アーサー・バンデンバーグは、トルーマンに向かって言った。
「それ(ギリシャ支援の予算)を実現する唯一の方法は、国中を恐怖に陥れる演説をすることです」
1947年3月12日に、トルーマンは上下両院の合同会議で演説し、こう言った。
「アメリカが海外で共産主義と戦わなければ、世界は破滅的な事態に直面する。
テロに脅かされているギリシャを助けるために、数億ドルが必要だ。
アメリカが援助しなければ、中東もヨーロッパも共産主義国になる。」
トルーマンの主張は、『アメリカは世界中で、自由主義を支援して共産主義と戦う』という意志表示だった。
これは、後に『トルーマン・ドクトリン』と呼ばれるものになる。
議会は総立ちになって拍手した。
ギリシャへの支援が認められたため、カネ、軍艦、兵士、銃、ナパーム弾、スパイが、ギリシャに送り込まれた。
やがてアテネは、世界最大のアメリカの諜報拠点になった。
(2015年1月20日に作成)