CIAは東側に工作員を潜り込ませる作戦を行うが、
失敗ばかり続く

(『CIA秘録『ティム・ワイナー著から抜粋)

CIAのスティーブ・タナーは、1949年の春から夏にかけて、亡命ウクライナ人を鉄のカーテンの向こう側にもぐり込ませる作戦を立てた。

9月5日に、亡命ウクライナ人の工作員は、C-47型機に乗せられて出発し、リヴォフ近郊にパラシュート降下した。

しかし、ソ連はすぐに工作員たちを排除した。

その後、5年間にわたって同じ作戦が続けられたが、失敗続きで中止になった。

1949年10月には、ヨーロッパ最貧の共産主義国アルバニアにも、工作員9人が送り込まれた。

亡命アルバニア人たちは、パラシュートでアルバニア領内に降下したが、すぐに秘密警察に捕まった。

ソ連は、CIAの作戦を最初から把握していた。

スパイが浸透しており、CIAと協力していたイギリス諜報機関のキム・フィルビーも実はソ連のスパイだった。

CIA本部のジェームズ・アングルトンは、フィルビーにCIAのアルバニアでのパラシュート作戦をすべて教えていた。

作戦の失敗は続いたが、4年間も続行されて、200人の外国人工作員が死亡した。

アメリカ政府内ではこの事実を知る者はほとんどおらず、トップ・シークレットだった。

アルバニアでの作戦が終了した時、ジェームズ・アングルトンは防諜部門のトップに昇進した。

そして、そのポストに20年も留まっていく。

アングルトンはアル中で、未決書類はどんどん溜まっていった。

CIAの秘密工作部門のトップであるフランク・ウィズナーは、ヨーロッパではヒトラーに次ぐ右寄りのグループだった、ロシア人組織「ソリダリスト」の支援を始めた。

ソリダリストのメンバーを、モスクワ近郊でパラシュート降下させたが、すぐに捕まって殺されてしまった。

1950年代には、(CIAによって)数百人の外国人工作員が東側諸国に送り込まれたが、殺された。

その作戦失敗に対するCIA高官の処罰は、無かった。

1949年9月に、ソ連が原爆を保有している事が発覚した。

CIAは、ソ連の核兵器開発を全く知らず、発覚の直前に「ソ連は少なくとも4年間、核兵器を開発することは無い」と宣言していた。

国防総省は、「モスクワにCIAの工作員を送り込め」と、半狂乱になってCIAに命令した。

(2015年1月24日に作成)


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