(『エリア51』アニー・ジェイコブセン著から抜粋)
1947年5月29日。
ニューメキシコ州の「ホワイトサンズ性能試験場」では、アメリカの秘密兵器「ヘルメス」の最後の仕上げが行われていた。
ヘルメスは、全長7.6m、重さ1.4トンのロケットで、元の名は「V2」だった。
V2はドイツが開発したロケットで、第二次大戦後にアメリカはその技術を接収していた。
アメリカ陸軍は、ドイツの工場から200個近いV2を押収し、終戦直後にホワイトサンズに輸送していた。
さらにアメリカ軍は『ペーパー・クリップ作戦』という極秘プロジェクトも行い、118人のドイツ人のロケット工学者が捕らえられ、ホワイトサンズに連行された。
その後も、何百人もの科学者が連れてこられた。
ヘルメスの開発を主導したのは、ドイツ人科学者のフォン・ブラウンとエルンスト・シュタインホフである。
ヘルメスは、世界初の弾道ミサイルで、シュタインホフが誘導システムを設計した。
最初の発射テストでは、ミサイルは誤ってメキシコのフアレス(人口120万人)に向かっていき、直径15m深さ7.3mのクレーターを作った。
死者が出なかったのは奇跡的だった。
軍の職員がフアレスに急行し、事態を処理した。
ミサイル開発は最高機密のため、詳細は誰にも知らされなかった。
ペーパークリップ作戦の責任者であるボスケット・ウェヴ大佐は、こういう考え方だった。
「ドイツ人科学者の過去を調べるのは、無駄骨だ。
すでに解体したナチス・ドイツは、アメリカにとって何の脅威にもならないが、ソ連は間違いなく脅威になる。
ドイツ人がアメリカのために働いている限り、彼らがソ連のために働く事はない。」
こうした考えに、アルバート・アインシュタインは異を唱えた。
彼は科学者連盟と共に、ハリー・トルーマン大統領にこう訴えた。
「我々は、ドイツ人科学者を危険人物と考えます。
彼らがナチス・ドイツで高い地位にいた事を考えると、アメリカで重要な地位に就くのは適切でないと思います。」
議論が戦わされたが、ロケット実験は中断されなかった。
ロケット打ち上げの失敗が続くと、ドイツ人科学者に疑いの目が向けられた。
そして何人かの科学者は、仕事以外の時間は幽閉されることになった。
(2019年2月3日に作成)