(『世界歴史大系 アメリカ史2』から抜粋)
市政改革の運動は、まず都市で始まった。
市民はマシーンを集中攻撃して、改革派市長が出現した。
改革派の市長は、行政サービスの向上をはかった。
構造改革派も出現し、能率化と経費節約を目指した。
モデルは、近代的企業に求めた。
この派は、酒場・売春・賭博の取り締まりをした。
これに対抗して、マシーンは能率化をし、汚職を減らすことで生き残っていく。
ウィンスコンシン州の知事となったロバート・ラフォレットは、全公職の選挙を求めて、1904年に法案を成立させた。
05年には、鉄道料金の決定権を持つ「鉄道委員会」を成立させ、これを電信・電話事業にも拡大させていった。
後に大統領になるウッドロー・ウィルソン知事も、同じ路線だった。
ラフォレットは大学から学者を多く登用し、専門家に立案をさせた。
しかし、これは上層市民による支配を強め、官僚主義の道をひらいた。
官僚たちは公益を正しく規定できず、結局は企業と消費者の対立に直面し、企業側に立ってしまった。
○ 村本のコメント
マシーンについて分からない方は、『南北戦争後~1900年まで』を見て下さい。
官僚主義の弊害は、現在でもまったく同じ状況です。
私が思うに、政治・行政に市民のニーズを反映させるには、市民が参加する勉強会を開いてそこでの意見を反映させるか、住民投票を行って決めるのが良いです。
(2013.3.29.)