ケネディ大統領の暗殺事件について専門ページを設けましたが、読まれる方は大勢の人物が出てくるために戸惑うと思います。
そこで、関係者の一覧を冒頭に置くことにしました。
組織ごとに分けた方が理解しやすいので、その形で書きます。
読めば分かると思いますが、CIAとマフィアは深く繋がっており、サム・ジアンカーナは「両者は一体で、CIAは表の顔、マフィアは裏の顔」と語っています。
○ アメリカ政府
ジョン・F・ケネディ
1960年の大統領選挙に民主党の候補として出馬し、共和党候補のニクソンに僅差で勝利する。
63年11月22日に、テキサス州ダラスで暗殺(射殺)される。
ロバート・ケネディ
ケネディ大統領の弟。
ケネディ政権では司法長官を担当し、秘密作戦やマフィア撲滅作戦に関与する。
リンドン・ジョンソン
ケネディ政権の副大統領。
ケネディは弟のロバートを重用していたので、ジョンソンは政策にあまりタッチしていなかった。
だが、ケネディが暗殺されるとジョンソンが大統領に昇格し、ロバートは権力の中枢から排除された。
ジョンソンはケネディを嫌っていたので、CIAにケネディ政権の情報を流していた。
ケネディ暗殺計画も知っていたという。
ロバート・マクナマラ
ケネディ政権の国防長官。
○ CIA
アレン・ダレス
アイゼンハワー政権の時からCIA長官をしており、ケネディ政権になっても留任される。
ピッグズ湾侵攻作戦で失敗すると、61年末に長官をクビになった。
クビにされた事で、ケネディを深く恨んだという。
チャールズ・カベル
ダレスCIA長官の下で、副長官をつとめる。
ダレスがクビになると、一緒に辞職となった。
リチャード・ビッセル
ダレスの下で、数々の秘密作戦を行ってきた人物。
ケネディが大統領になった当時は、CIA作戦担当副長官。
ダレスと一緒に61年末にクビになる。
リチャード・ヘルムズ
ダレスの下で、数々の秘密作戦を行ってきた人物。
ダレスは、自分とビッセルが辞職する際、この男をビッセルの後任に据えた。
ジョンソン政権下の66年に、CIA長官に指名される。
ジョン・マッコーン
ケネディはダレスをクビにした後、この男をCIA長官にした。
かつては軍事関係の請負業者をしていて、原子力委員会の委員長もつとめた。
トレーシー・バーンズ
CIAの幹部。ビッセルの右腕。
ビッセルの後をヘルムズが継ぐと、極秘国内作戦部の新部長に任命される。
ロバート・モローの上司で、亡命キューバ人の武装化などの作戦に従事する。
E・ハワード・ハント
CIAの幹部。ケネディ暗殺の当時は、極秘国内作戦部の秘密活動課長。
ケネディ暗殺では、CIAの暗殺チームを指揮した。
後にウォーターゲート事件に関与し、有罪判決となる。
ウィリアム・ハーベイ
CIAの幹部。元FBI。
CIAのカストロ暗殺計画の指揮官となる。
ジョージ・ド・モーレンシルト
CIAの極秘諜報部員。表向きの顔は石油産業の関係者。
CIAのフロント団体として知られる国際開発協力局の代表として、世界中を旅行していた。
CIAの指示に従い、ソ連から帰国後のオズワルドの面倒を見た。
父は帝政ロシアでミンスク知事をしていたが、革命後にアメリカに亡命した人物。
本人は第二次大戦中はフランス情報機関で働いており、数ヵ国語を話せた。
1977年に国会の証人喚問の当日に、猟銃で頭を撃たれて死亡した。
ジェームズ・アングルトン
CIAの幹部。当時は防諜部長。
1960年代はFBIとのパイプ役を務め、イスラエルとの取引も担当していた。
デズモンド・フィッツジェラルド
CIAの幹部。特殊業務部(SAS)の部長。
ローランド・キュベロを使ったカストロ暗殺作戦を取り仕切る。
デイビッド・アトリー・フィリップス
CIAの幹部で、主に中米を担当した。
かつてはハワード・ハントと共に活動し、グアテマラのアルベンス政権を倒すクーデター作戦に参加した。
ケネディ政権時は、アントニオ・ベシアーナやローランド・マスフェラーの亡命キューバ人武装組織を率いた。
モーリス・ビショップという偽名を使って活動していた。
ケネディ暗殺では、現場で指揮をし、警察に逮捕された。
コード・マイヤー
リチャード・ヘルムズの片腕で、ジェームズ・アングルトンの補佐官。
ケネディの愛人になり多くの秘密を知ったため、ケネディ暗殺事件後に殺されたマリー・マイヤーは、彼の元妻である。
アレキサンダー・ローク・ジュニア
CIA職員で、『オペレーション40』のメンバー。
ケネディ暗殺作戦にも参加した。
ビクター・マーチェッティ
CIA職員で、後になってメディアで様々な暴露証言をし、ケネディ暗殺についても語った。
○ CIAに雇われていた人
リー・ハーベイ・オズワルド
ケネディ暗殺の犯人とされてきたが、本当は違う。
オズワルドは若い頃にCIAにスカウトされ、日本の米軍基地でスパイの訓練を受けた。
ロシア語を身に付け、ソ連に偽装亡命(潜入)したりもした。
CIAは彼をケネディ暗殺の犯人に仕立て上げ、口封じのためにマフィア幹部のジャック・ルビーが護送中に殺した。
オズワルドはFBIにも雇われており、金をもらって情報提供をしていた。
クレイ・ショー
CIAの契約コンサルタント(工作員)。
表向きの顔は、ニューオーリンズ・トレード・マートの重役(理事)で、パーミンデックスの理事も務めた。
この2つの組織は、CIAが運営しており、秘密工作のための会社であった。
1974年8月14日に死亡したが、状況から見て他殺と思われる。
ガイ・バニスター
クレイ・ショーの右腕で、デイブ・フェリーの上司。
CIAの契約諜報員で、元FBIのシカゴ支局長。
FBI時代は、ロバート・メイヒューの上司だった。
元ニューオーリンズ警察の副署長でもあり、第二次大戦中は海軍情報部で働いた。
ニューオーリンズに事務所を持ち、そこで反共組織や反共紙を運営していた。
その事務所は表向きは探偵事務所だが、実際には亡命キューバ人とCIA要員が出入りし秘密工作に従事していた。
デイブ(デビッド)・フェリー
優秀なパイロットで、カルロス・マルセロの部下でもある。
パイロット技術を買われて、CIAに雇われた。
ケネディ暗殺計画に深く関わり、作戦の立案をした。
クレイ・ショーの右腕として活動。
ジム・ギャリソンがケネディ暗殺の捜査を始めると、1967年2月に自宅で死亡しているのが発見された。
ロバート・メイヒュー
CIAに雇われ、カストロ暗殺作戦に参加する。
元FBIで、その時はガイ・バニスターの部下だった。
ケネディ暗殺当時は、マフィアの暗殺コーディネーターをしていた。
ロバート・モロー
『ケネディ暗殺』の著者。
高い科学技術を持ったエンジニアなので、CIAにスカウトされて、秘密作戦(キューバ紙幣の偽造など)に関わる。
CIAからの依頼で、ケネディ暗殺で使われる特別製のライフルとトランシーバーを作り提供した。
ロス・スコイアー
ロバート・モローの仕事仲間で、モローと一緒にCIAの秘密作戦に従事する。
マーシャル・ディッグズ
ルーズベルト政権では財務省・副会計検査官を務めた。
亡命キューバ人、CIA、マフィアの3者をつなぐ仲介者として活動する。
トーマス・デイビス
CIAに雇われた暗殺者。兵器の密輸も行う。
カストロ暗殺作戦のために、亡命キューバ人の訓練を担当する。
カルロス・マルセロの指示の下で行動した。
カルロス・リガル(ビクター・マイケル・アーツ)
CIAに雇われたフランス出身の殺し屋。有名な国際麻薬密売人でもある。
CIAでは国家元首を暗殺するチームに参加する。
ゴードン・ノヴェル
CIAに雇われた工作員。
ガイ・バニスター、デイブ・フェリーらと共に、ルイジアナ州ホーマのシュランベルジュ社の武器庫から武器・弾薬を盗み出す作戦に参加する。
フランク・スタージス(フランク・フィオリーニ)
CIAに雇われた工作員。カストロ暗殺作戦などに従事した。
ケネディ暗殺作戦では、ハワード・ハントの指揮下でマリータ・ロレンツなどのCIA工作員のまとめ役をした。
後にはハントと一緒にウォーターゲート事件の実行犯となった。
マリータ・ロレンツ
キューバ指導者のカストロと知り合い、恋人になり子供を産んだ。
その事を利用しようとしたCIAによって拉致され、洗脳された後にカストロ暗殺の実行者に起用された。
だがカストロへの愛情が残っていたため、暗殺に失敗した。
その後もCIAの秘密作戦に加わり、ケネディ暗殺作戦にも参加することになったが、直前に危険を感じ離脱した。
彼女の生涯は、著書『諜報員マリータ』に詳しく書かれている。
ジェリー・パトリック・ヘミング
マリータ・ロレンツの証言によると、CIAに雇われたケネディ暗殺部隊の一員。
ペドロ・ディアス・ランス
マリータ・ロレンツの証言によると、CIAに雇われたケネディ暗殺部隊の一員。
ノヴィス兄弟
マリータ・ロレンツの証言によると、CIAに雇われたケネディ暗殺部隊の一員。
亡命キューバ人である。
オーランド・ボッシュ
マリータ・ロレンツの証言によると、CIAに雇われたケネディ暗殺部隊の一員。
亡命キューバ人である。
ローランド・キュベロ
カストロ政権の高官だが、CIAの情報提供者となり、1963年の秋にカストロ暗殺計画をCIAに進言した。
○ アメリカ・マフィア
カルロス・マルセロ
ニューオーリンズ・マフィアのボス。シマはルイジアナ州とテキサス州。
ケネディ政権はマフィア撲滅を掲げ、マルセロを逮捕してグアテマラに追放した。
マルセロは深く恨み、ケネディ大統領を賞金首にし、マフィア仲間に「暗殺したら大金を渡す」と触れ回った。
そして、ケネディ暗殺の計画を立案するように、デイヴ・フェリーらに命じた。
サム・ジアンカーナ
シカゴ・マフィアのボス。
ケネディの父に頼まれ、1960年の大統領選挙でケネディを支援した。
だがケネディは、ジアンカーナも撲滅すべきマフィアのリストに入れた。
そのため深く恨み、ケネディ暗殺計画に深く関わった。
サントス・トラフィカンテ
フロリダ・マフィアのボス。
マフィアの中で殺しを請け負う、殺し屋を多く抱える人物。
バティスタ時代のキューバでは、最も利権をむさぼったマフィアの1人。
かつてのキューバ利権を取り戻すために、アメリカ政府のカストロ政権転覆の作戦に深く関わる。
その後、ケネディ暗殺計画にも大きく関わる。
ジョニー・ロゼリ
シカゴ・マフィアの副ボス格。シカゴの代理ボスとして様々な地で活動した。
主な活動場所はラスベガス、ハリウッド、キューバなど。
社交能力が高いのを評価され、ハリウッドでも活動し、映画産業でのマフィア利権つくりで活躍した。
イタリア生まれで、幼い時にアメリカに移住した。
ケネディ暗殺計画では、サム・ジアンカーナとCIAやマフィアのボスとの連絡役を務め、犯人役に仕立てるオズワルドの下見もした。
ビル・ボナーノの著書『ゴッドファーザー伝説』によると、射撃の腕が抜群で、ケネディ暗殺の狙撃犯の1人だった。
ジャック・ルビー
シカゴ・マフィアの幹部。武器の密売、麻薬の密輸を行う。
表向きの顔はクラブやストリップ劇場の経営者。
JFK暗殺作戦では連絡役をつとめた。
暗殺時は狙撃犯を運ぶ運転手をしていたと見られる。
死期の迫った彼は、オズワルドを殺すように命じられ、護送中のオズワルドを公衆の面前で射殺した。
マイヤー・ランスキー
この時代のアメリカ・マフィアのボス。だがユダヤ人なのでイタリア人が多いマフィア界では実は好かれてなかったらしい。
マフィアの全米組織「コミッション」の設立を主導した。
ラッキー・ルチアーノがボスだった時代から活躍し、金融面(マネー・ロンダリングや海外進出)で手腕を発揮した。
ユージン・ヘイル・ブレイディング(ジム・ブレイドン)
マフィアの一員で、ケネディ暗殺の数分後にディーリー・プラザで逮捕された。
ガイ・バニスターの事務所があるビルに、この男も事務所を構えていた。
1970年代にマイヤー・ランスキーの番頭にまで出世した。
リチャード・ケイン
本名はリカルド・スカルズィッティ。
サム・ジアンカーナの配下で、数ヵ国語を話せるためCIAの工作員もつとめた。
CIAの工作員としては、マイアミで亡命キューバ人に軍事訓練をほどこした。
CIAの口添えでシカゴの保安官になり、シカゴ警察で射撃訓練を受けたため、腕が良かった。
ケネディ暗殺の実行犯の1人で、教科書倉庫ビルから狙撃した人物。
サム・ジアンカーナの右腕まで出世するが、FBIのスパイになり、さらにシカゴでボスの地位を狙ったため、1973年12月に暗殺された。
チャッキー・ニコレッティ
シカゴ・マフィアの殺し屋で、サム・ジアンカーナの部下。
ケネディ暗殺の実行犯の1人といわれ、1977年に下院特別委員会に証人喚問が決まった直後に殺された。
○ FBI
ジョン・エドガー・フーバー
FBI長官を長く務め、ケネディ政権の発足時も留任された。
ケネディと折り合いが悪く、ケネディ暗殺計画が進行していると知りながら、手を打たなかった。
ケネディ暗殺後は、証拠隠滅に協力した。
ジェームズ・ホスティ
FBIダラス支局の捜査官で、FBIの情報提供者になっていたオズワルドを担当した。
ケネディ暗殺の数時間後に、ホスティはダラス警察に「オズワルドが殺した」と伝えたとの証言がある。
○ 亡命キューバ人
マリオ・ガルシア・コーリー
アメリカに亡命したキューバ人の中でも大物で、カストロが政権をとるまではキューバで指折りの銀行家だった。
反カストロの活動をする亡命キューバ人のリーダーとなる。
アイゼンハワー政権時にニクソン副大統領は、「カストロを倒したらコーリーを大統領にする」との密約を、彼と交わした。
ケネディ政権になると冷遇される。
資金を融通してもらう中で、アメリカ・マフィアと親しくなっていく。
CIAと組んでキューバ紙幣の偽造作戦をしたが、それが密告され、ニクソンの支援を受けながら逃亡生活に入った。
65年に自首して刑務所に入った。
エラディオ・デル・バレ
コーリーの有力な部下。
アメリカやキューバで活動し、現場で指揮官として活動した。
亡命前はキューバで国会議員をするなど、金持ちだった。
1967年にジム・ギャリソンがケネディ暗殺の調査を始めると、口封じのために殺された。
アントニオ・ベシアーナ
反カストロ派の亡命キューバ人部隊のリーダー。
「SNFE/ALPHA66」の指揮官。
ローランド・マスフェラー
亡命キューバ人の傭兵で、反カストロ・ゲリラ部隊のリーダー。
ケネディ暗殺作戦では、複数いる暗殺チームの調整役となった。
マヌエル・ロドリゲス・ケサダ
コーリーの部下で、「SNFE/ALPHA66」の指揮官の1人。
ローランド・マスフェラーのボディガードをしていた。
ケネディ暗殺後、口封じのためCIA傭兵のジョン・オヘアに殺された。
ローレン・ユージン・ホール
元キューバ・マフィアで、1959年にカストロ政権によってキューバから追放された。
アメリカに来てからはジャック・ルビーと親しくする。
ケネディ暗殺作戦では、狙撃犯の1人だったという。
CRC(キューバ革命評議会)
亡命キューバ人の組織の1つで、ケネディ政権が肩入れをした。
代表者はマヌエル・アルティメ。
FRD(キューバ革命戦線)
亡命キューバ人の組織の1つで、アメリカ政府内のカストロ支持派が設立した。
設立の中心人物は、国務省のウィリアム・ウィーランド。
セルジオ・アーカチャ・スミス
CIAがスポンサーになっている反カストロ派のキューバ人組織「キューバ革命委員会」のニューオーリンズ代表。
バチスタ政権時代のキューバでは外交官をしていた。
ガイ・バニスターの事務所があるビルに、アーカチャ・スミスも事務所を構えていて、一緒にCIAの秘密作戦に従事した。
○ その他の人々
リチャード・ニクソン
アイゼンハワー政権時には副大統領。
その時期に、カストロ暗殺計画など数々の秘密作戦に関わる。
1960年の大統領選挙でケネディと対決するが、敗れた。
ジミー・ホッファ
チーム・スター(トラック運送者の労働組合)のボス。
マフィアと懇意にしていて、実質的にはマフィアの幹部。組合の年金をかすめ取るなどの不正を実行した。
ケネディ暗殺計画に関与した。
マリリン・モンロー
映画女優だが、ケネディ兄弟の愛人だった。
非常にセクシーだったため、CIAはこの女を各国の指導者を籠絡するのに使った。
サム・ジアンカーナの愛人でもあり、この女を通じてケネディ兄弟とジアンカーナが繋がっていた。
麻薬常習者でもあり、数々の秘密をばらす危険があると判断したCIAの指令で、ジアンカーナが暗殺した。彼女の死は自殺ではない。
マリー・マイヤー
ケネディの愛人で、元夫のコード・マイヤーはCIA幹部。
ケネディ暗殺の真相を知ったため、暗殺される。
シリル・ウェクト
『大統領の検屍官』の著者。
ケネディ暗殺事件の公式発表に疑問を持ち、独自に調査をした。
ジム・ギャリソン
ニューオーリンズの地方検事。
1966年からケネディ暗殺事件の調査をした。
『JFK ケネディ暗殺犯を追え』などの著作がある。
素晴らしい調査をしたため、アメリカ政府から数々の圧力や苛めを受けたが、映画『JFK』の主人公にもなった大人物である。
フィデル・カストロ
ケネディが大統領になる少し前に、キューバで政府を倒し指導者となる。
キューバは長くアメリカの植民地状態で、アメリカ・マフィアが進出してカジノや観光のメッカになっていた。
それをカストロは打破し、アメリカ人を追い出して新しい国作りをした。
アメリカ・マフィアおよびそれとつるんできたCIAは、自分達の利権を保持するためにカストロを殺そうとした。
いくつもの暗殺計画が練られ、実行されたものもあったが、カストロは生き延びた。
ジョー・ケネディ
ケネディ兄弟の父親。
禁酒法の時代に、密造酒をマフィアと組んで売りまくって、一代で財を成した。
その財を酒の販売権や競馬場利権などに投資し、さらに資産を増やした。
息子を大統領にするため、サム・ジアンカーナなどのマフィアに支援を求め、マフィアに寛容な政策を採ると約束。
だが当選したJFKは正反対の政策を採り、マフィア撲滅運動を進めた。
ケネディ家はマフィアのボス達との約束を破り、それがケネディ大統領の暗殺にマフィアが参加した主たる理由である。
クリント・マーチンソン
石油王で、フーバーFBI長官やリチャード・ニクソンと親しく、ケネディ暗殺計画を知っていた人物の1人。
H・L・ハント
石油で儲けた成金で、元々はギャンブラーだった。
テキサス州ダラスに本社を置き、ダラスにある反カストロの右翼団体を資金援助していた。
ケネディ暗殺計画を知っていた人物の1人。
アール・カベル
ダラス市長で、CIA副長官だったチャールズ・カベルの弟。
大統領パレードのルート変更を行ったのはこの人物と思われる。
ハワード・ヒューズ
戦闘機などを作るヒューズ・エアクラフト社の社長。
同社はアメリカ屈指の軍需会社で、人工衛星などの開発にも関わった。
戦闘機などの開発などを行うために、その実験場であるネヴァダ州のエリア51にも深く関与した。
この男は儲けた大金を映画産業に投資し、ラスベガスにも投資して、マフィアと繋がっていた。
シカゴマフィアのボスだったサム・ジアンカーナの話によると、アメリカに麻薬を密輸するCIAとマフィアの共同事業にも、ハワード・ヒューズは加わっていた。
ケリー・ソーンリー
オズワルドと海兵隊時代の同僚で、外見がよく似ていた。
オズワルドと63年9月にニューオーリンズで一緒にいるのを目撃されている。
ガイ・バニスターらと繋がっていて、ケネディ暗殺前の動きを見るとオズワルドに成りすまして行動する偽装工作に従事していたと思われる。
ジュディ・キャンベル
フランク・シナトラの元ガールフレンドで、シナトラの紹介でジョン・F・ケネディに会い、愛人の1人になった。
さらにシナトラの紹介でサム・ジアンカーナの愛人にもなった。
マーク・レーン
弁護士で、ケネディ暗殺事件の謎を追った人物の1人。『大がかりな嘘』の著者。
ハント対リバティ・ロビー裁判では、被告リバティ・ロビーの弁護を担当し、法廷でケネディ暗殺の首謀者がCIAだった事を世に知らしめた。
リチャード・スプレイグ
1976年に設置された米下院の『暗殺調査特別委員会』で、主席顧問になった検事。
ケネディ暗殺にCIAなどが関わった事を調べていったが、CIAシンパの議員やマスコミに叩かれ、辞任に追い込まれた。
ルース・ペイン
1963年10月に、オズワルドにテキサス教科書倉庫ビルでの仕事を紹介した女性。
ロシア語を話せて、父はかつて国際開発協力局(CIAのフロント団体)で働いていた。
ケネディ暗殺の時、ルースの家にオズワルドの妻と娘は居候していた。
(2016年1月4日に作成開始)