(『ケネディ暗殺』ロバート・モロー著から抜粋)
CIAの毒物開発プロジェクトの仕事は、1958年6月に終わった。
その後、トランスデューサーを研究していた時、偶然に興味深いプロセス(ランケ・ヒルシュ効果)を発見した。
最大熱効率96%という驚異の暖炉を開発できたのは、この発見のおかけだった。
そんな頃、旧友のロス・スコイアーとばったり再会した。
私はワシントンにオフィスを置こうとしており、ロスに依頼した。
ロスはまずまずの物件を見つけ、私は1960年4月末に引っ越しを終えた。
そこは、角を1つ曲がれば、設立されたばかりの『米国警察学校』があった。
同校では、CIAとギャングのパイプ役の1人であるジョー・シモンが、「諸外国の警察のためのCIAの訓練所」を組織していた。
この訓練所こそ、秘密情報員に拷問・尋問などの技術を吹き込んだ機関である。
私がオフィスを構えて人脈を広げたところ、「マーシャル・ディッグズのための、あるプロジェクトを引き受ける気はないか」との打診を受けた。
ディッグズは、ルーズベルト政権の時に財務省・副会計検査官をつとめた人物だ。
私はディッグズと会い、マリオ・ガルシア・コーリーを紹介された。
コーリーは、亡命キューバ人で、アイゼンハワー政権の実力者集団からかなりの助成を受けていた。
彼の家系は、キューバの上流階級に属し、同国の金融と政治に大きく関わっていた。
彼の父は、23年間もスペイン大使を務めていた。
コーリー自身は、投資銀行家のエリートで、キューバとアメリカ大企業の橋渡し役を務めていた。
彼がキューバで代行していた大企業には、様々なアメリカ企業が含まれていた。
キューバでは、カストロが政権をとって産業を国営化すると、企業の資産は押収されて、多国籍企業と銀行は重大な損害をこうむった。
コーリーや多国籍企業は、カストロ政権を相手どって訴訟を起こしていた。
コーリーは、カストロ政権打倒の活動に、私を誘った。
マーシャル・ディッグズは、こう説明した。
「我々が必要としているのは、いかなる情報機関ともキューバ人とも関係を持っておらず、特殊なテクニカルな任務をこなせる人間だ。
君は様々な特許を持っているし、マーティン社の首席プロジェクト・エンジニアでもあった。
さらにクラーク博士のプロジェクトにも参加している。
さらに父親のジョン氏は、第二次大戦中に軍の情報部のメンバーだった。 」
彼が徹底的な下調査を行ったのは明らかだった。
私は、活動に参加することを決めた。
すぐに私は、コーリーが指揮するマイアミのレジスタンス組織に、通信装置一式を提供する計画を練った。
(2016年1月3日に作成)