(『大がかりな嘘』マーク・レーン著から抜粋)
ベン・ヘクトの著書『背信』は、イスラエルで起きた訴訟事件を題材にしたノンフィクションで、建国間もなかったイスラエルを根底から揺るがした。
主人公のヨーロッパ系ユダヤ人のマルキエル・グリーンワルドは、イスラエルに移住したが、政治論説を発表した。
その論説で、当時イスラエルで最も尊敬されていた指導者の1人であるルドルフ・ケストナー医師を、ナチスのユダヤ人狩りに協力した売国奴だと告発した。
グリーンワルドは名誉棄損で告訴されたが、ケストナーはテルアビブの自宅前でズィーヴ・エクシュタインに撃たれて死んでしまった。
エクシュタインは、数ヶ月前までモサドの秘密捜査官として働いていた男だ。
ハヴィヴ・シーバーは、生き様がグリーンワルドと双子のように似ていた。
彼はパレスチナに同情的で、イスラエルを捨ててアメリカに移住し、論説を発表するようになった。
そしてイスラエルが占領しているヨルダン川西岸とガザ地区に、ユダヤ人とパレスチナ人が共存できる非宗教的な国を創ろうと活動した。
私は1980年にハヴィヴ・シーバーと知り合い、ある日、私の家で朝食を共にした。
会話の中で、彼は「あれじゃ酷すぎる。カートの人生は破滅だよ」と怒りを爆発させた。
「カートって誰だね?」私は尋ねた。
「リバティ・ロビー社が出している『スポットライト紙』の編集長なんだ」
「ああ、あの過激派で反ユダヤと噂の?」
シーバーは大きな溜息をついた。
「君は間違ってる。
アラファトは反セム(反ユダヤ)じゃないよ。
パレスチナ人のアラファトだって、セム系なんだよ。」
当時、アメリカではアラファト(パレスチナのゲリラ指導者)は危険視されていたが、『スポットライト紙』はアラファトの独占インタビューを掲載していた。
シーバーの話の要点は、こうだった。
ウォーターゲート事件で有罪判決を受けたCIAのE・ハワード・ハントが、元CIA高官のヴィクター・マーチェッティと、彼の記事を掲載した『スポットライト紙』の発行元であるリバティ・ロビー社に対し訴訟を起こしたのだ。
ハントは記事の内容は事実無根で名誉を棄損したと主張したが、ハントはその訴訟に勝ち、75万ドルの損害賠償金をもらうことになった。
シーバーによると、スポットライト紙の編集長ウィリス・カートは、救ってくれる優秀な弁護士を探していた。
そして、この訴訟はケネディ暗殺を取り上げたマーチェッティの記事が訴えられているので、裁判でケネディ暗殺の真実を立証できる(それをテーマにできる)というのだ。
私は、ウィリス・カートの弁護士を引き受けることにした。
私がウィリス・カートに初めて会ったのは、ワシントンにある彼の小さなオフィスでだった。
そのオフィスの入っているビルは、リバティ・ロビー社の事務所として使われていた。
カートは、「ヴィクター・マーチェッティが1978年に記事を売り込んでくるまで、ケネディ暗殺事件に関心はなかった」と述べた。
カートがマーチェッティに関心を持ったきっかけは、マーチェッティの書いた『CIAと情報崇拝』が出版されたことだった。
この本は事前検閲の対象になり、文章の一部が空白のまま売り出された。
それを見たカートは、空白の部分には重要な情報が書かれていたと確信したのだ。
私は後になって、親しくなったマーチェッティに「空白の部分には何が書かれていたのか」と尋ねた。
実のところ、国家の安全保障を危険にさらすような事は1つもなかった。
次の1例を挙げれば十分だろう。
CIAは、カクテルパーティをどのように盗聴するか悩み、科学者に委ねた。
普通のテープレコーダーでは、周囲のおしゃべりやグラスの触れる音まで拾ってしまい役に立たなかった。
科学者たちの解答は、猫の腹を切開して盗聴器を埋め込み、マイクは耳に付けることだった。
だがパーティに放たれた猫は、目的の場所に行かなかった。
結局、数百万ドルがつぎ込まれ、何回も大手術をした猫は、逃げ出してトラックに轢かれ死んでしまった。
私はカートと話し、「私が弁護を引き受けるなら、CIAがケネディ暗殺をしハントも関与したという弁論を展開したい。様々な人の証言録取を行うことになるだろう。」と告げた。
カートは「全て思い通りにやってよい」と請け合った。
私は資料に目を通し、まずヴィクター・マーチェッティに会うことにした。
(2018年11月27日に作成)