(『大がかりな嘘』マーク・レーン著から抜粋)
私は、ヴィクター・マーチェッティの話の信憑性について調べていたが、ある日ウィリス・カートが上機嫌で会いに来た。
上機嫌な理由は、高裁が第一審の判決を破棄したからだった。
高裁は、第一審の判事が陪審員に誤った教示をしたと認定し、地裁に差し戻して裁判をやり直すよう命じたのだ。
(これについては、『ハント対リバティ・ロビー裁判⑥』に詳しく出ています)
やり直し裁判が確定したため、カートは私に裁判の弁護士になるよう改めて要請してきた。
私は、ケネディ暗殺の容疑者たちに質問できる絶好の機会と考え、引き受けることを決めた。
原告であるハワード・ハントの代理人を務めることになったのは、オーバー・ケーラー・グライムズ・アンド・シュライバーという大きな法律事務所だった。
この事務所のウィリアム・スナイダー、ケビン・ダン、ダニエル・ダッチャーの3人が担当するこになった。
私はウィリアム・スナイダーに対し、マーチェッティが裁判で証言して、(自分が書いた記事の)情報源を明らかにすると通告した。
さらに、主たる情報源はウィリアム・コーソンだった事も伝えた。
それから私は、証言を録取するためにコーソンに召喚状を送った。
コーソンは1984年5月15日に、私のオフィスに現れた。
事前にウィリアム・コーソンの経歴を調べたが、一筋縄ではいかない人物だと分かった。
彼は海兵隊の退役大佐で、対ゲリラ戦の研究に関する国防総省とCIAの合同委員会で事務局長を務めていた。
彼は海兵隊にいた25年間、CIAと密接な関係を持ち、中国関係のプロジェクトに関する米政府の委員会にも参加していた。
今はペントハウス誌に迎えられ、ワシントン支社の代表だ。
コーソンはイギリスの情報機関とも緊密で、色んな人に情報を提供していた。
彼の経歴を調べてみて、CIAメモについて否定する(知らぬふりをする)可能性があると感じていた。
ウィリアム・コーソンの証言録取を始めたが、彼は海兵隊に居た時の任務については「機密扱いだ」と言って答えるのを拒否した。
だが、今でもCIAと密な関係にあること、マーチェッティと知り合いで2人だけで会った事があることを認めた。
コーソンの答えには「多分」「と思う」「覚えがない」という言葉が散りばめられていて、具体的な答えをするつもりがないのは明らかだった。
録取を終えてみて、コーソンとマーチェッティの言い分が真っ向から対立しているのに悩んだ。(コーソンはCIAメモなど全てについて憶えていないと答えた)
2人の言い分をじっくり検討してみて、「マーチェッティの方が信頼できそうだ」との結論に達した。
(2018年11月28日に作成)