(『大がかりな嘘』マーク・レーン著から抜粋)
私は1984年7月11日に、(原告である)E・ハワード・ハントの証言録取をした。
ハントは「ケネディ暗殺の日はワシントンに居た」と言い、取材でジョゼフ・トレントと話した事さえ否定した。
ハントは、あの日にワシントンに居た事を証明できる者として、自分の子供を挙げた。
そして、「ケネディ暗殺の時、息子のハワードは9歳、ケヴァンは13歳、娘のリサは15歳だった。あの日は子供たちを車で家に連れて帰った後、家族全員でテレビとラジオに釘付けだった」と証言した。
さらに「ケネディが死去した金曜日から月曜日まで、誰も家を出なかったと思う」と証言した。
ハントは他にも、CIAで同僚のウォルター・クズマクと、秘書だったコニー・メーズロブも証人として挙げた。
ハントは、「ケネディ暗殺の日、私はたぶんクズマクと一緒に車で出勤し、その日の午後1時頃にクズマクに再び会った」と言う。
私が「CIAの出勤記録があるから、それを確認すればいいのではないか」と問うと、「3~5年で廃棄する方針で記録は処分された」と答えた。
ハントは、ジャック・アンダーソン殺害計画でゴードン・リディと共謀した事を認めた。
そして「麻薬を使って政治指導者やスパイの信用を失墜させる工作に経験をもつガン博士と契約していた。ガン博士はCIAで働いていた。」と述べた。
ハントは、ブルッキングズ研究所に放火する計画に関するゴードン・リディの証言には、対決する姿勢(否定する姿勢)を示した。
だが、ニクソン大統領の顧問だったチャールズ・コルソンが「ブルッキングズ研究所にとある文書があり、その文書をニクソン政権が気にしていて、内容を確認するか盗み出すかしたいと思っている」と述べた事を認めた。
私は何年か前に、CIAの工作員だったマリータ・ロレンツから「ハントはエドアルドという暗号名を使っていた」と聞いていた。
そこで「エドアルドという暗号名を使っていたか」と訊いた。
するとハントは、「ピッグズ湾作戦の際、私はキューバ人からエドアルドとして知られていた」と証言した。
(2018年12月2日に作成)