(『大がかりな嘘』マーク・レーン著から抜粋)
E・ハワード・ハントが、このたびの裁判で申請する予定の証人リストには、(元CIA幹部の)デーヴィッド・アトリー・フィリプスの名前もあった。
そこで私は、フィリプスの証言を録取することにした。
ワシントンの連邦最高裁の真向かいにある私のオフィスに、彼と弁護士が来ることになった。
その日、フィリプスと彼の弁護士の他に、CIAの副法律顧問のリチャード・サリヴァンも現れた。
さらにサリヴァンは、「ジェームズ・スミス氏も来ます。スミスは本名ではなく、彼はCIAのために働いています」と言う。
慣例としてだが、証言録取に立ち合う者は皆、身分を明かさなければならない。
だから私は、スミスというがっちりした体格の男が現れると、「本名を明らかにしてくれ」と伝えた。
スミスは沈黙のままで、彼はサリヴァンのほうを見た。
サリヴァンが口を開いた。
「この場でスミス氏が本名を明らかにするのは不可能です。
彼は国家機密の事柄が記録に残されそうになった場合に、それを私に知らせるのが役目です。」
この得体の知れない人物が証言録取に同席するのを拒否して、異議申し立てをすれば、最終的には裁判で勝てたに違いない。
しかしそれでは、ケネディ暗殺の真相を公にできない。
だから私は、そのまま証言録取を進めることにした。
その時、私は机から目を上げ、窓越しに外を見た。
すると黒塗りの伸長ボディのリムジンが、明らかに法律に違反して駐車していた。
デーヴィッド・アトリー・フィリプスの証言録取を始めたが、彼は1954年にハントと会った事を認めた上で、「当時の私は、のちにグアテマラ作戦として知られることになったCIAの作戦に従事してフロリダに居た」と述べた。
(※この年にCIAは、グアテマラでクーデターを仕掛けて、反米のアルベンス大統領を追放している)
私はこう質問してみた。
「以前に私とあなたが参加した討論会で、私はあなたにあるCIA文書を見せたのを憶えていますか。
その文書は、私の信用を破壊してケネディ暗殺についての私の見解が広まるのを阻止する作戦の計画書でしたが。」
フィリプスはスミスらと協議し、こう偽証してきた。
「そのような文書を見た記憶はありません」
誠実な答えが返ってこないのは明らかなので、次の質問に移り尋ねた。
「メキシコ・シティで、ハントを見たことがありますか」
再びフィリプスらは協議し、フィリプスは「はい」と答えた。
私は「いつ見かけたのですか」と尋ねた。
すると彼は「1961年9月から65年3月までのいつかでした」と答えた。
「63年11月22日(ケネディ暗殺の日)以前に見かけましたか」
「1回か2回は見かけたはずです」
これを聞いて、フィリプスが裁判に証人として出てくることはないと確信した。
なぜならハントは下院の委員会に提出した宣誓供述書で、「私は61年から70年までメキシコには行ってません」と答えているからだ。
フィリプスは、CIAメキシコ・シティ支局の責任者だった人物だ。
フィリプスとハントのどちらかが偽証しているのは明らかだった。
私はこんな質問もしてみた。
「フィリプスさん、あなたは25年間スパイをしてきた。
そしてスパイは嘘をつく、そうですね?」
フィリプスは激しく異議を申し立てた。
だが彼が怒ったのは、嘘つきだと示唆された事ではなく、スパイだと言われた事だった。
彼はこう反論した。
「私はスパイだったことはない。
スパイとは、母国を金などが目的で売る人物を指す。
私は情報担当官だった。」
最後に、この質問をぶつけてみた。
「もしハント氏がCIAの仕事でケネディ暗殺に関わり、それについて嘘をつけと命じられていたなら、ハント氏は嘘をつくと思いますか」
CIAやハントを弁護する答えが返ってくると思っていたのだが、フィリプスはこう答えた。
「回答することを差し控えさせていただきます」
証言録取が終わると、皆が書類をしまったり後片付けする中、ジェームズ・スミスは一言も言わずに無愛想に部屋を出て行った。
そして違法駐車しているリムジンに向かって突進し、後部座席に乗り込むと、かなりのスピードで走り去った。
(2018年12月2日に作成)