ハント対リバティ・ロビー裁判⑧
デーヴィッド・アトリー・フィリプスの証言

(『大がかりな嘘』マーク・レーン著から抜粋)

ハワード・ハントが、このたびの裁判で申請する予定の証人リストに、(元CIA幹部の)デーヴィッド・アトリー・フィリプスの名前もあった。

そこで私は、フィリプスの証言を録取することにした。

ワシントンの連邦最高裁の真向かいにある私のオフィスに、彼と弁護士が来ることになった。

その日、フィリプスと彼の弁護士の他に、CIAの副法律顧問のリチャード・サリヴァンも現れた。

さらにサリヴァンは、「ジェームズ・スミス氏も来ます。スミスは本名ではなく、彼はCIAのために働いています」と言う。

慣例としてだが、証言録取に立ち合う者は皆、身分を明かさなければならない。

だから私は、スミスというがっちりした体格の男が現れると、「本名を明らかにしてくれ」と伝えた。

スミスは沈黙のままで、彼はサリヴァンのほうを見た。

サリヴァンが口を開いた。
「この場でスミス氏が本名を明らかにするのは不可能です。
 彼は国家機密の事柄が記録に残されそうになった場合に、
 それを私に知らせるのが役目です。」

この得体の知れない人物が証言録取に同席するのを拒否して、異議申し立てをすれば、最終的には裁判で勝てたに違いない。

しかしそれでは、ケネディ暗殺の真相を公にできない。

だから私は、そのまま証言録取を進めることにした。

その時、私は机から目を上げ、窓越しに外を見た。
すると黒塗りの伸長ボディのリムジンが、明らかに法律に違反して駐車していた。

証言録取を始めたが、フィリプスは1954年にハントと会った事を認めた上で、「当時の私は、のちにグアテマラ作戦として知られることになったCIAの作戦に従事してフロリダに居た」と述べた。

(※この年にCIAは、グアテマラでクーデターを仕掛けて、反米のアルベンス大統領を追放しています)

私はこう質問してみた。

「以前に私とあなたが参加した討論会で、私はあなたにあるCIA文書
 を見せたのを憶えていますか。

 その文書は、私の信用を破壊してケネディ暗殺についての
 私の見解が広まるのを阻止する作戦の計画書でしたが。」

フィリプスはスミスらと協議し、こう偽証してきた。

「そのような文書を見た記憶はありません」

誠実な答えが返ってこないのは明らかなので、次の質問に移り尋ねた。

「メキシコ・シティで、ハントを見たことがありますか」

再びフィリプスらは協議し、フィリプスは「はい」と答えた。

私は「いつ見かけたのですか」と尋ねた。

すると彼は「1961年9月から65年3月までのいつかでした」と答えた。

「63年11月22日(ケネディ暗殺の日)以前に見かけましたか」

「1回か2回は見かけたはずです」

これを聞いて、フィリプスが裁判に証人として出てくることはないと確信した。

なぜならハントは下院の委員会に提出した宣誓供述書で、「私は61年から70年までメキシコには行ってません」と答えているからだ。

フィリプスは、CIAメキシコ・シティ支局の責任者だった人物だ。

フィリプスとハントのどちらかが偽証しているのは明らかだ。

私はこんな質問もしてみた。

「フィリプスさん、あなたは25年間スパイをしてきた。
 そしてスパイは嘘をつく、そうですね?」

フィリプスは激しく異議を申し立てた。

だが彼が怒ったのは、嘘つきだと示唆された事ではなく、スパイだと言われた事だった。

彼はこう反論した。

「私はスパイだったことはない。
 スパイとは、母国を金などが目的で売る人物を指す。
 私は情報担当官だった。」

最後に、この質問をぶつけてみた。

「もしハント氏がCIAの仕事でケネディ暗殺に関わり、
 それについて嘘をつけと命じられていたなら、ハント氏は嘘をつく
 と思いますか」

CIAやハントを弁護する答えが返ってくると思っていたのだが、フィリプスはこう答えた。

「回答することを差し控えさせていただきます」

証言録取が終わると、皆が書類をしまったり後片付けする中、ジェームズ・スミスは一言も言わずに無愛想に部屋を出て行った。

そして違法駐車しているリムジンに向かって突進し、後部座席に乗り込むと、かなりのスピードで走り去った。

(2018年12月2日に作成)


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