ハント対リバティ・ロビー裁判⑩
ゴードン・リディの証言

(『大がかりな嘘』マーク・レーン著から抜粋)

私は、ゴードン・リディの証言を録取することにした。

リディは1984年6月のある日に、証言をしに私の事務所に現れたが、珍しいことに弁護士を伴わず1人でやって来た。

彼は元FBI高官だが、自分の経歴をこう説明した。

「私は、フーバーFBI長官の監査部門の監査局長をした。

ニューヨーク州ダッチェス郡の副地方検事や、ニクソンの選挙委員会の郡委員長もした。」

彼は犯罪歴も豪華で、自ら「盗聴、不法侵入で起訴され、最終的に8か9の重罪で禁固21年半の判決を受けた」と証言した。

彼の刑は減刑され、1977年9月に出所していた。

ゴードン・リディは、「プラマー(鉛管工)」と後に呼ばれることになるグループに加わっていた。

ニクソン政権が設置したこの特殊班は、ジョン・ミッチェル、ヘンリー・キッシンジャー、ジョン・アーリックマン、チャールズ・コルソンが監督していた。

リディはこのグループで、E・ハワード・ハントと共に多くの工作を行った。

ハントは1970年にCIAを退職した事になっていて、ハントも「元CIAだ」と語っていたが、リディは「ハントはCIAが開発した声を変える装置や盗撮装置を入手していた。CIA要員からその訓練も受けていた」と証言した。

リディは、ハントに紹介されたCIA職員から、同じ装置をもらった。

さらにCIAからは、「もしエドワード・ケネディ上院議員が大統領選に出馬したら使うように」と言われて、ケネディ議員を攻撃する政治漫画を手渡されたという。

このケネディ議員の中傷計画は、『オペレーション・ジェムストーン』の一環だった。

リディによると、この作戦は「1972年の大統領選で、民主党の候補者を狙った破壊工作」だった。

リディとハントは、(共和党のニクソン大統領を再選させるために)民主党の全国大会の開催中に「マイアミの会議センターの空調設備を壊す」ことを計画した。

また2人は、エド・マスキー上院議員の妻を誹謗する作戦も練った。
マスキーも潜在的な候補者だったからだ。

この誹謗作戦の結果、マスキーは精神不安になり、大統領選を断念することを決めた。

リディとハントはさらに、「民主党の選挙用特別機の無線通信を傍受すること」も計画した。

リディは、「ホワイトハウス(ニクソン政権)が、家宅侵入や盗聴、民主党の事務所へのスパイ行為を承認して、いずれも実行された」と証言した。

そして「ハントはそれらの作戦の管理者だった」と証言した。

リディとハントは、民主党のスタッフから情報を入手するため、売春婦を雇ってベッドに誘い込ませることも計画した。

2人はこの仕事をフランク・スタージスに任せる事にし、スタージスはとびきり美人の女性教師を2人探し出してきたという。

リディとハントが、チャールズ・コルソンから示唆されて計画したのが、ワシントンのブルッキングズ研究所に侵入する工作だった。

リディはこう証言した。

「1971年の夏、ハントがやって来て、上司のコルソンがブルッキングズ研究所にどんな資料があるか気にしていると言った。

ハントと私は、資料に近づくために作戦を練った。

まず中古の消防車を手に入れて、ワシントン消防局の車にそっくりに塗装し直し、CIAのキューバ人資産(協力者)に消防局員の制服を着せる。

そしてブルッキングズ研究所に誰も居ない時を見計らって、放火する。

最初に駆け付ける消防車が我々のもので、建物に入って消火に当たっているふりをしながら資料を盗み出す、という計画だった。

この計画は、金がかかりすぎるという理由で却下された。」

私は「キューバ人資産」という言葉に関心を持ち、それを説明してくれと言った。

「(CIA幹部だった)ハントは、ピッグズ湾事件(ピッグズ湾侵攻作戦)に深く関わり、CIAによって訓練された反カストロのキューバ人をよく知っていた。

そのキューバ人たちは特殊作戦をする用意があり、彼らが最初に招集されたのがフィールディング作戦(ダニエル・エルズバーグの精神分析医オフィスへの侵入作戦)で、我々は彼らをキューバ人資産と呼んでいた。」

私は、「ハントは犯罪組織と接触していたか」と、リディに訊いた。

「答えはイエスだ。

マイアミでジェムストーンという暗号名をつけた秘密作戦の会議をした。

この作戦は、1972年の大統領選で民主党の活動を妨害する工作だったが、キューバ人も参加した。

ハントが話したところでは、我々が採用した者の中には、犯罪組織に加わったり殺人を犯していた者も何人かいた。」

私は次に、「ハントがアメリカ市民の殺害を計画した事があるか」と質問した。

リディは「ある」と答え、こう証言した。

「ジャック・アンダーソンの殺害計画を練るため、ハントとガン博士の2人と会食した。

私たちはアスピリン・ルーレットについて話をした。

これは毒入りの錠剤を一粒、狙った人物の薬瓶に入れて、いつかある日にそれを飲んで死ぬ、というものだ。

ガン博士の提案は車を使うもので、アンダーソンの車に別の車を衝突させる方法だ。

車にある特定のスピードと角度で別の車を衝突させると、ぶつけられた車は横転して燃え出し、中にいる人は死んでしまうという。

最終的に、私の提案した方法に決まった。

アンダーソン宅に侵入し、強盗に見せかけて殺してしまうやり方だ。
殺しはキューバ人資産に担当させることになった。

だが、上司のコルソンもニクソンもこの作戦を承認せず、実行されなかった。」

リディは証言を終えると、「もうハントとは付き合いがない」と述べた。

(2018年12月5日に作成)


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