(『大がかりな嘘』マーク・レーン著から抜粋)
E・ハワード・ハントの主任弁護士であるウィリアム・スナイダーは、「元CIA長官のスタンスフィールド・ターナーは、マーチェッティの記事がでっち上げであると証明できる人物だ」と言う。
(※マーチェッティの記事が発表された時、CIA長官はターナーだった)
ターナーは自宅での証言録取を希望したので、ワシントン郊外の彼の家に出向いた。
スタンスフィールド・ターナーは、3年以上も前にCIA長官の職を離れていたが、リー・ストリックランドとページ・モフェットという2人の弁護士が付いていた。
2人共、CIAの法律顧問だが、電話番号も住所も教えてくれなかった。
ターナーは、証言の始めにこう言った。
「私がCIA長官を務めた4年間、ハントについて協議した記憶はないし、ハントについて決定を下した事もない。」
スナイダーは、この時点で主尋問を打ち切っても不都合なかっただろう。
だが弁護士というものは、一般的に手続きの効率化には努めないものだ。
スナイダーは1時間をかけて、マーチェッティの記事の問題部分を読み上げ、ターナーにいちいち内容が正しいが間違いかを質問した。
質問に対し、ターナーは「記憶にない」「聞いたことはない」と連発した。
私は横で見ていて、ターナーは偽証しているか異常なほど無知であるかのどちらかだと思った。
だから私の反対尋問の時間になると、ターナーがどこまで知識があるのか探ることにした。
Q
米下院の暗殺特別委員会にCIAが提出したメモや文書を憶えていますか
A
いいえ
Q
ケネディ暗殺の調査をしたウォーレン委員会。
その任命をしたのはジョンソン大統領で、委員会のメンバーは7人だった。そうですね?
A
私は知らない
Q
ウォーレン委員会のメンバーには、アレン・ダレス元CIA長官もいて、彼が一番活動的なメンバーだったことを、あなたは知っていますか
A
いいえ
ここまで質問したところで、1人の補佐官が現われ、ターナーに何か囁き、2人は何の説明もなく部屋を出て行った。
数分後にターナーは、耳にコードレス電話を付けて戻ってきた。
この電話は、当時(1984年6月)には極めて珍しいものだった。
私は最初、この電話を通じてターナーが助言を受けているのかと疑ったが、彼の答え方によってその推測は間もなく打ち消された。
私は質問を再開した。
Q
あなたがCIA長官だった時代、CIAでは職員の勤務記録をつけていましたか
A
分からない
Q
では休暇を取った時や、病気で長期休暇の時は、記録をつけていましたか
A
自分は知らない
Q
CIAの職員たちは、偽名や別名を使っていましたか
A
私の知る限りでは、無かった
2人のCIA弁護士は、私の質問をずっと不安気に見ていたが、ここで「証人と別室で話をしたい」と言い出し、ターナーと一緒に出て行った。
彼らは数分後に戻ってきたが、ターナーは「自らの発言を補足したい」と言い、「CIAでは偽名が使われているし、偽の発言もしてきた」と認めた。
私は問題となっているCIAメモ『アングルトン=ヘルムズ・メモ』について、CIAの記録をあたったか訊いたが、答えは「ノー」だった。
「メモを探すように指示したことはない」と証言した。
AP通信は1978年8月21日に、このメモについてターナー長官は「我々は探したが、メモは無かった」と発言したと報じている。
その事を言うと、彼は「憶えていないが、そういう発言をした可能性はある」と答えた。
証言録取を終えると、ターナーはこう言った。
「レーンさん、この証言録取は私にとって負担だった。もう公務員ではないのだから。」
証言を聞いてみて、彼がCIAの出来事について通じていない事が分かった。
彼は、アウトサイダーの大統領(ジミー・カーター)に任命されたアウトサイダーのCIA長官であり、CIAの生え抜きではなかった。
だからCIAの政策決定プロセスから疎外されていたのだ。
当時のCIAで何が起きていたかは、イランでアメリカ人人質の解放を遅らせようとしたレーガン=ブッシュ選挙委員会の工作が明らかになれば、もっとはっきりするだろう。
(※カーター大統領は、イランで捕まったアメリカ人の解放に手間取り、それが一因で大統領職の再選に失敗した。
この件では、ライバルのレーガン陣営が、裏でイランと取引して、人質を解放しないようにしたと言われている。)
(2018年12月5日に作成)