ハント対リバティ・ロビー裁判⑫
リチャード・ヘルムズの証言

(『大がかりな嘘』マーク・レーン著から抜粋)

E・ハワード・ハントの弁護士たちは、ターナー元CIA長官だけではなく、リチャード・ヘルムズ元CIA長官の証言録取も求めた。

そこで私も出席するため、1984年6月にワシントンのとある法律事務所に行った。

ヘルムズと共に、(ターナーの証言録取にも立ち合った)リー・ストリックランドとページ・モフェットという2人のCIAお抱えの弁護士が来た。

さらにもう1人、「ジョン・スミス」という謎の男もヘルムズに同行していた。

モフェットが説明した。

「こちらはCIAの人物です。本名は明かせません。

名前はジョン・スミスとしますが、架空の名前で、機密情報に触れた場合にその事を我々に伝える人物です。」

もちろんスミスには証言録取に同席する権利はなく、今回は私は異議を申し立て、退席を要求した。

モフェットは、安全保障の問題なのだと言って反論した。

結局私は、ヘルムズに質問したかったので、スミスを追い出すのは止めた。

モフェットやスミスは、リチャード・ヘルムズのことを常に「ミスター・アンバサダー(大使)」とか「ミスター・アンバサダー・サー」と呼び、露骨にへつらっていた。

CIAの弁護士たちはヘルムズを王様の様に扱っていたが、現実にはヘルムズは米上院の委員会で偽証して有罪となった犯罪者であり、他の犯罪でも有罪判決を受けていた。

証言録取が始まり、ハントの主任弁護士ウィリアム・スナイダーは、ヘルムズに「CIAはケネディ暗殺に関与したか」と質問した。

私は当然強く否定するだろうと思ったが、ヘルムズは暫く沈黙し、その後にようやく「私の知る限りでは大統領を殺害したことはない」と答えた。

スナイダーの質問に対し、ヘルムズは全て「~とは思わない」「~とは思えない」という風に答え、全面否定は1度もなかった。

問題となっているCIAメモ『アングルトン=ヘルムズ・メモ』(ヘルムズが署名したとされるメモ)についても、「私の知っている限りでは、メモを見たことはない」と答えた。

スナイダーは、ヴィクター・マーチェッティの記事を取り上げて、「このバカげた記事では、CIAが自らの利益を守るためにハントを犠牲にすると決めたとあります。その話を聞いたことはありますか」と質問した。

ヘルムズは「憶えていない」と答えた。

スナイダーは、「記事ではフランク・スタージスが、ケネディ暗殺の犯人の1人とされています。スタージスはCIAに雇われていたことがあったのですか」と質問した。

するとヘルムズは、「スタージスはCIAの部外工作員、すなわち契約工作員だった。彼は正式職員ではなかった。」と答えた。

スナイダーは仰天し、素早く話題を変えた。

「ケネディ暗殺の責任を、ジョンソンかニクソンに負わせようとCIAが謀ったことがあったなら、あなたは知り得る立場にありましたか」

スナイダーとしては、今度こそ全面否定してくれると期待したのだろう。

ヘルムズは「その質問は憶測に基づくもので答えようがない」と前置きしつつも、
「もしCIAが、ある大統領を前任者殺害の罪に問う計画をした場合、私が知っていたのは比較的確かだと思う」と答えた。

次に、私の反対尋問の時間になったが、まずフランク・スタージスについて訊いた。

するとヘルムズは、「スタージスはCIAの契約工作員で、フロリダ州でキューバと関係のある作戦を実行した」と答えた。

E・ハワード・ハントは、そのキューバの作戦を担当していたのだから、ヘルムズはハントとスタージスの繋がりを証言したのである。

(長くCIAで働いた)ヴィクター・マーチェッティは、1975年にトゥルー誌に寄稿した記事で、クレイ・ショーの裁判が行われていた当時のCIA内の雰囲気について、次のように書いている。

「私は、ヘルムズCIA長官が毎朝開く会議に出席していたが、ショーの裁判が行われている頃は、長官が『我々は彼らが必要としている手助けを全てやっているのか』と質問した事が何度かあった。

出席者は皆、手助けとはショーの弁護だと考えていた。」

そこで私は、「クレイ・ショーという名前を知っていますか」と尋ねた。

CIAの弁護士は凍りついた様になり、額を寄せて相談を始めた。

ヘルムズは困惑した様子だったが、やがて「ショーとはどんな人物だったか少し教えてくれないか」と言った。

私はこう応じた。

「分かりました。
あなたは1979年5月17日に、ハントがウェーバーマンらを相手取って起こした裁判で証言した時、クレイ・ショーについてこう語っています。

『クレイ・ショーとCIAの関係で唯一憶えているのは、彼が国内連絡部門の臨時連絡員だった事だ。

この部門の要員は、(CIAに代わって)ビジネスマンや教授と話をし、国内外を旅行していた。』

あなたはこの証言を憶えていますか。」

ヘルムズは、「証言した記録があるなら、多分そうしたのだろう。記憶は少しもよみがえらないが。」と言った。

私はもっと明確な答えを引き出そうとして、「前回の証言は、クレイ・ショーがCIAで働いていた事をあなたが知っていた事を示していますよね」と質問した。

ヘルムズはこの質問には答えず、CIAの弁護士は激怒して「そういった当てこすりは止めてほしい」と怒鳴った。

ヘルムズはここで1枚の紙を取り出し、朗読し始めた。
それは何と、79年5月17日にしたショーに関する自らの証言だった。

私は驚いた。数分前に「ショーとは誰だったか教えてくれ」と言ったのに、彼は自らの証言のコピーを持っていたのだ。

ジム・ギャリソン検事が起こしたクレイ・ショーの裁判では、ショーは「私はCIAと接触した事はない」と主張していた。

私は「この裁判の当時、CIAはギャリソン検事に、ショーとCIAの関係を通告したのか」と質問した。

ヘルムズは「思い出せない」と答えた。

「ショーの裁判中に、CIAはショーを助けたのか」と訊いたが、ヘルムズは「知らない」と答えた。

CIAはケネディ暗殺後に、「犯人のオズワルドは、暗殺の前にメキシコ・シティに行った」とウォーレン委員会に報告した。

この件について私は、「CIAはウォーレン委員会に、オズワルドが1963年9月26日から10月3日までメキシコに滞在し、滞在中にはほとんどメキシコ・シティにいたと報告しましたか」と質問した。

ヘルムズは、「ケネディ暗殺事件の前にハントが、オズワルドがメキシコ・シティに居た事を示唆する情報を提出したことは憶えている」と答えた。

それ以降、この件について質問する度に、CIAの弁護士がヘルムズに答えないよう指示した。
「答えると機密情報が明らかになる可能性がある」というのが理由だった。

(2018年12月7日&11日に作成)


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