(『大がかりな嘘』マーク・レーン著から抜粋)
我々の側(被告側)の反証では、マリータ・ロレンツの証言録取を提出し、読み上げることにした。
マリータ・ロレンツは、フィデル・カストロの恋人になって子供を産み、その後にCIAに洗脳されて反カストロの作戦に参加した。
CIAに雇われた彼女は、ケネディ暗殺計画にも加わった。
(※彼女の生涯については、自伝『諜報員マリータ』に詳しく書かれています)
マリータは、1977年にフランク・スタージスから殺すと脅され、警察に通報してスタージスは逮捕された。
私が彼女にコンタクトを取ったのはこの時で、ケネディ暗殺計画に関わった事を聞いた。
彼女の話に強い驚きを与えられたが、その話を報道してくれる所を見つけることができなかった。
それから5年以上が経ち、今回の裁判が行われる事になった時、私は再び彼女とコンタクトを取り、マイアミに来て裁判で証言してくれるか尋ねた。
彼女は心底おびえた様子を見せ、「あなたはあいつらのこと、何も分かってないんだわ。これまで何人も殺してきたのよ。マイアミに戻ると考えただけで身の毛がよだつ。」と答えた。
それでも彼女は、証言録取を承知してくれた。
証言録取は、ハントの弁護士ケヴィン・ダンの立ち会いのもとで行われた。
マリータ・ロレンツの証言を法廷で読み上げるにあたって、リバティ・ロビー社の顧問弁護士フレミング・リーの妻、ジュリア・リーに頼み、マリータの代わりに証言席に座ってもらった。
そしてマリータの証言を代読してもらうことにした。
いよいよ証言が始まった。
Q
  あなたはCIAに雇われたことがありますね。
A
  はい。
Q
  FBIに雇われたことがありますね。
A
  はい。
Q
  ニューヨーク市警に雇われたことがありますね。
A
  はい。
Q
  1978年に、あなたは下院暗殺特別委員会に証人として出頭していますね。
A
  はい。
Q
  それはケネディ暗殺に関したことですか。
A
  はい。
Q
  あなたは1963年の11月およびそれ以前に、フロリダ州マイアミに住んでいましたか。
A
  はい。
Q
  マイアミ地方でCIAの仕事をしていたのですね。
A
  はい。
Q
  CIAの仕事をしていた時、フランク・スタージスと一緒に活動していましたね。
A
  はい。
Q
  スタージスは、他にどんな名前で呼ばれていましたか。
A
  フランク・フィオリーニ、それにハミルトンです。
Q
  スタージスは、あなたと一緒に活動していた時、やはりCIAに雇われていましたか。
A
  はい。
E・ハワード・ハントは当時、マイアミでCIA職員として反カストロ組織の指揮をとっており、フランク・スタージスもそれに加わっていた。
スタージスは、CIAの有力な契約工作員だったのである。
スタージスは『サード・プレス訴訟』で次のように証言している。
「キューバに居たときに、CIAのサンチャゴ・デ・キューバ支局の支局長に、スパイとしてスカウトされた」
ハントの書いた小説『ビミニ・ラン』では、ハンク・スタージスという名の、バーテンあがりで金のためならどこでも行く傭兵が登場する。
スタージスは78年2月8日に、「かつてバーテンをしていた」と証言している。
スタージスの人生のかなりの部分が、この小説に投影されていることは間違いない。
マリータ・ロレンツはこれから、スタージスに報酬と指令を与えていた人物を話そうとしている。
  法廷は水を打ったように静まりかえった。
Q
  スタージスに報酬を支払っていた人物は誰ですか。
A
  エドアルドという名の男です。
この裁判でハントは、エドアルドという偽名を使っていた事を証言していた。
Q
  エドアルドとは誰のことですか。
A
  これは暗号名なんです。本名はE・ハワード・ハントです。
ハントの名が挙がったとたん、陪審員の視線が一斉にハントに向けられた。
ハントはそそくさと目をそらすと、弁護士たちと何事か相談を始めた。
Q
  あなたは1963年の11月に、スタージス氏と共にマイアミから旅に出ましたね。
A
  はい。
Q
  他にも同行者がいましたか。
A
  はい。
Q
  利用した交通手段は何ですか。
A
  車です。2台でした。
Q
  車には何を積んでいましたか。
A
  武器です。
Q
  スタージス氏は車で出発する前、どこへ向かうと言いましたか。
A
  テキサス州のダラスです。
Q
  ダラス行きの目的が何であるか言いましたか。
A
  いいえ。極秘だと言っていました。
Q
  ダラスに着いたのは63年11月の事ですか。
A
  はい。
Q
  ダラスに着いた後、宿泊施設に泊まりましたか。
A
  モーテルです。
Q
  モーテルに滞在する間、あなたは誰かと会いましたか。
A
  はい。E・ハワード・ハントに会いました。
Q
  他にも会った人はいますか。
A
  ジャック・ルビーに会いました。
Q
  1963年11月にダラスでハント氏と会った時の状況を話して下さい。
A
  あらかじめ手配が整えられていて、まとまった金をハントが私たちに渡すことになっていました。
これは、いわゆる工作と呼ばれる仕事への報酬でしたが、これから行う仕事がどんなものかは知りませんでした。
Q
  あなたの役目は知らされていましたか。
A
  単なるおとり、とのことでした。
Q
  モーテルの部屋で、ハント氏が金を渡すところを見ましたか。
A
  はい。
  彼は現金の入った封筒をフランク・スタージスに渡しました。
フランクはお金を出してぱらぱらめくると、これだけありゃ十分だと言い、上着にしまいました。
Q
  ハント氏はどのくらい部屋に居ましたか。
A
  45分くらいです。
Q
  あなたがジャック・ルビーを見たのはどこですか。
A
  ハントが帰ったあと、45分から1時間くらい後に、ルビーがモーテルにやって来ました。
ダラスへの武器の輸送、ハントとスタージスの会見、ジャック・ルビーの登場と、かなり明らかになった。
次はいよいよ、11月の何日に起きた事か特定する番だ。
Q
  ハント氏とスタージス氏が会ったのは、何時頃でしたか。
A
  夕方です。
Q
  ケネディ大統領が殺害された日から見ると、2人が会ったのはいつになりますか。
A
  前日です。
Q
  それでは、1963年11月21日のことだったのですね。
A
  はい。
こうして陪審員は、『ハントが11月21日にダラスに居た』という証言をはっきり耳にしたのである。
CIAとハントは、ハントのアリバイ作りでもっぱら11月22日に重点を置いていた。
11月21日については、ハントがワシントンに居たと証言するCIA関係者はおらず、それどころかハントは「11月21日は仕事を休んだ(ワシントンのオフィスに出勤しなかった)可能性がある」と認めていた。
次に私は、ジャック・ルビーについてマリータに尋ねた。
Q
  ケネディ暗殺の2日後、犯人とされていたオズワルドはジャック・ルビーに殺されましたね。
A
  はい。
Q
  あなたはそれ以後に、ルビーの写真やテレビに映る姿を見ましたか。
A
  はい。
Q
  大統領暗殺の前夜に、ダラスのモーテルにいた人物と同一人物だと、確かに憶えているのですね。
A
  はい。
私の尋問は終わり、次にハントの弁護士ケヴィン・ダンの反対尋問が始まった。
その尋問は、さらに詳しく事実を述べる機会をマリータ・ロレンツに与える事になった。
彼女は質問に対し、「1959年にCIAに雇われた」と証言し、「ウォーレン委員会には出頭するなとCIAの上司から指示された」と証言した。
Q
  あなたの今日の証言は、1978年に米下院の暗殺特別委員会で述べた事と同じですか。
A
  その通りです。
Q
  E/ハワード・ハントと初めて会ったのはいつですか。
A
  1960年、フロリダ州マイアミです。
  エドアルドだと紹介されました。彼はマイアミに工作資金を運んでいたのです。
Q
  彼はあなたと何語で話しましたか。
A
  英語とスペイン語です。
Q
  あなたは他に何語が話せますか。
A
  ドイツ語です。
Q
  エドアルドがハワード・ハントだと分かったのはいつですか。
A
  だいたい同じ頃です。
Q
  当時、ハント氏はどこに勤めていたと思いますか。
A
  CIAです。
  私たちは全員、CIAの『オペレーション40』のメンバーでした。
私たちはエドアルドから指令を受けており、一般の市民が行えないこと(犯罪)をする権利と許可を与えられていました。
Q
  あなたはCIAのために、キューバで仕事をしましたか。
A
  カストロを殺すための訓練を受けて、キューバに行きました。
  (※このカストロ暗殺作戦は失敗に終わった)
Q
  あなたがスタージス氏とダラスに車で向かった時、スタージス氏の他に一緒に居た人は誰でしたか。
A
  ジェリー・パトリック・ヘミングです。
他にノヴィスという名の2人のキューバ人兄弟と、ペドロ・ディアス・ランスというパイロットが同行してました。
  (※ロレンツの著書によると、オズワルドも同行者だった)
Q
  2台の車にはどんな武器を積んでいましたか。
A
  ライフルとマシンガン、拳銃もありました。
Q
  どんな種類のライフルですか。
A
  M-16ライフル、M-1ライフル、ショットガンが数丁ありました。
Q
  CIAの『オペレーション40』に加わっていた時、主な任務は武器の輸送でしたね。
A
  はい。
Q
  それは反キューバ(反カストロ政権)の活動に使用するためですか。
A
  はい。
Q
  あなた達が出発したマイアミの家は、CIAの家でしたか。
A
  ええ、隠れ家です。
Q
  その家には、今まで挙げた人間以外にも誰か居ましたか。
A
  ひとりは現在、獄中です。もう1人は死にました。
Q
  どこに投獄されているのですか。
A
  ベネズエラかどこかです。
Q
  その人物はボッシュ氏ですか。
A
  はい。オーランド・ボッシュです。
Q
  彼は『オペレーション40』に加わった反カストロ派キューバ人の1人ですか。
A
  はい。
Q
  隠れ家にいて、もう死亡したのは誰ですか。
A
  アレキサンダー・ローク・ジュニアです。
Q
  彼もCIA職員でしたか。
A
  はい。
Q
  ケネディ暗殺を知ったあと、あなたはどうしましたか。
(※マリータ・ロレンツはケネディ暗殺の実行前に危険を感じ、作戦から離脱した。ぎりぎりで実行犯にならずに済んだのである。)
A
  FBIに話しました。
どっちみちFBIは私の子供の父親(ベネズエラの独裁者だったマルコス)のことで話をしたがっていました。
車で迎えに来て、オフィスに連れていかれました。
(※マリータ・ロレンツはカストロと別れた後に、マルコスの愛人になり子供を産んでいた)
Q
  それは1963年の11月中のことですか。
A
  はい。
Q
  FBIは車でダラスに行った7人グループの行動について、尋ねたのですね。
A
  そうです。
Q
  FBIは、車で同行した人達の名前を知っていましたか。
A
  はい。
Q
  彼らは、同行者について1人1人あなたに尋ねたのですか。
A
  はい。彼らは根掘り葉掘り尋ねました。
  解放されて戻ってきた時はほっとしました。
Q
  あなたは、エドアルドのことも話したのですか。
A
  FBIは全部知っています。
  でも深入りしたがりませんでした。あれはCIAの仕事だからです。
マリータ・ロレンツは、ケネディ暗殺が決行される前にグループを抜けてダラスを去ったのだが、その理由を語った。
「私には、いつもの仕事とは違うことが分かりました。
  それで降りたくなったのです。
フランク・スタージスに、ここを去りたいと頼みました。
  彼は『とてつもなくでかい仕事だが、お前の役目は危険なものではない』と言いました。
  おとりになるだけだと。
でも私は、降ろしてほしいと言い、そのうち彼も同意してくれて空港まで送ってくれたのです。」
Q
  スタージスとはその後、この件について話しましたか。
A
  はい。
  彼からCIAの別の仕事で誘われた時に、彼は『あんたはダラスでとてつもなくでかい仕事をし損なった』と言いました。
彼はこう言いました。
『俺たちはあの日、大統領を殺ったのさ。
  あんたもそれに参加できたのに。
ヤバいことは何もなかったんだから。
  隠蔽工作は万全だったのさ。何たってプロの仕事だからな。』
陪審員たちは、マリータ・ロレンツの証言に非常な熱意をもって耳を傾けた。
ハントと弁護士たちは顔を曇らせていた。
  だがロレンツの証言は別に驚きではなかったはずだ。この証言録取は裁判の2週間前に行われていたからである。
おそらく、彼らはロレンツの証言がどれほど衝撃を与えるか、予想を誤ったのだろう。
(2018年12月21~23日に作成)