ハント対リバティ・ロビー裁判⑰
結審となり被告勝訴の判決が出るが、大手メディアは無視する

(『大がかりな嘘』マーク・レーン著から抜粋)

ニュートン・スコット・マイラーの証言録取が、ハント対リバティ・ロビー裁判に提出された最後の証拠となった。

結審の申し立てが認められ、キホー判事は「説示のための協議」を開いた。

判事は、陪審員が評決する直前に、陪審員に該当する法律について説示する任務がある。

そのため判事は、(被告と原告の)双方の弁護士と協議し、説示内容を検討するのである。

双方の弁護士は、示された説示の適否を議論し、異議を申し立てることができる。

そして判事の説示の前には、弁護士の最終弁論が行われる。

ハントの弁護士ウィリアム・スナイダーの最終弁論は迫力があった。

彼はマーチェッティの記事は間違っていたと指摘し、ハントはすでに改心していると述べ、マーチェッティの記事でどれほど迷惑を被ったかを陪審員に訴えた。

スナイダーは陪審員に向かって、「FBIやCIAやウォーレン委員会が嘘をつくなど考えられない。アメリカ政府を信用しようではないか」と熱弁を振るった。

次に被告側の最終弁論になり、私はCIAがケネディ暗殺を計画・実行した証拠を、順序立てて説明した。

私は、スナイダーが「政府を信じよう」と言ったのに対して、「私たち自身を信じましょう。証拠を分析できる私たちの能力を信じるのです」と訴えた。

私は陪審員に言った。

「私たちが主権者なのです。
情報機関の幹部連中が我々に代わって物事を決めるなど、許される事ではありません。

この陪審は、国民の委員会なのです。
ウォーレン委員会よりも大切なもので、我々の伝統に従ってあなた方は選ばれたのです。

この歴史的な事件に対して公正な評決を言い渡すのは、あなた方の責任です。」

この後、キホー判事は陪審員に説示を読み上げた。

そして陪審員たちは退出して、証拠についての審議に入った。

午後もだいぶ遅くなったので、陪審員は帰宅して、翌朝に戻って審議することになった。

翌日(1985年2月6日)の午前中に、評決がなされ法廷に告げられた。

法廷にはテレビ取材も入っていたが、評決は『被告リバティ・ロビーの勝訴で、陪審員の全員一致の見解』だった。

陪審員の長に選ばれていたレズリー・アームストロングは、この後すぐに記者たちに取り囲まれた。

彼女は「なぜ被告勝訴の投票をしたのか」と繰り返し尋ねられた。

彼女はこう答えた。

「証拠がはっきりしていたのです。
CIAがケネディ大統領を殺し、ハワード・ハントはその一味だったのです。

これほど入念に調べて提出された証拠は、合衆国のしかるべき機関が精査しなければなりません。」

マイアミの地方テレビ局のリポーターは、評決について憤慨をあらわにし、「記事に悪意があったかは評決の根拠にならないのか」と質問した。

レズリー・アームストロングは、「悪意の有無が名誉毀損裁判では評決の要因になると、判事は説示の中で教えてくれたが、提出された証拠から記事の主要部分は真実だと信じられたので重視しなかった」と答えた。

だがその晩のマイアミ・テレビでは、レズリーの回答のうち「名誉毀損裁判では悪意の有無が評決の要因になる」と述べている部分だけが取り上げられていた。

このテレビ局は、ワシントン・ポスト紙とニューズウィーク誌の所有だった。

ワシントン・ポストは、この裁判結果を報じなかった。

このようにマスコミ界が真実を公にするのを控えているにも関わらず、最近の世論調査では、アメリカでも海外でもオズワルドの単独犯行説を信じている者はほとんど居ない。

ハント対リバティ・ロビー裁判の結果は、ケネディ暗殺事件の調査を再開する機会にできたはずだ。

だが1980年代を通じて、大手メディアはこの問題を放置した。

ニューヨーク・タイムズは1988年11月20日付の日曜版で、デーヴィッド・ベリンの記事を載せたが、ベリンは「CIAの手は汚れていないし、ウォーレン委員会の調査結果を信じるのが我々の義務である」と主張した。

ワシントン・ポストも、83年11月20日付の「オズワルドは単独犯だったか」との記事で、「今となっては真実を発見できない。事件直後でさえすべての真実を突き止めるのは困難だっただろう」と結論している。

CBSのウォルター・クロンカイトは、かつて欺瞞だらけの特別番組でウォーレン委員会の報告の正しさを証明しようとした事がある。

その彼が、今では引退した身なのに、教育番組「ノバ」に出演し、「我々がケネディ暗殺の真相を知ることはあり得ないかも」と語った。

大手メディアが、色あせたオズワルド単独犯行説に代わって持ち出したのが、「もう知ることはできない」式のお説教である。

本書『大がかりな嘘』を出版してくれるところを探すのは大変だったが、映画監督のオリバー・ストーンが「ケネディ暗殺を取り上げた大作を作る」(映画『JFK』のこと)と発表すると、その苦労もなくなった。

ワシントン・ポストは、1991年5月19日付のアウトルック欄で、撮影が始まったばかりのストーン作『JFK』を嘲笑した。

ストーンと原作者のジム・ギャリソンをこきおろしたのだ。

『JFK』のクレジットが示すように、脚本を書いたのはドルトン・トランボである。

ドナルド・フリードと私も脚本作りに最初は協力したが、間もなくハリウッドでは真実性よりも娯楽性が優先されると分かり手を引いた。

『JFK』の脚本は、全体としては正確で、歴史的な貢献ができるはずであった。

しかしストーンは、メディアに叩かれた後、「脚本を書き直した」と発表した。
そして歴史よりも興行成績に奉仕するものとなった。

(2019年1月25日に作成)


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