(『大がかりな嘘』マーク・レーン著から抜粋)
ケネディ大統領が殺されると、リー・ハーヴィ・オズワルドが犯人として逮捕されたが、オズワルドも射殺されてしまった。
「オズワルドが本当に犯人だったのか」との疑念が欧州全体で広まる中、ダラスの地方検事ヘンリー・ウェードは記者会見を開き『オズワルドが犯人だという15の証拠』を示した。
ウェードはこの時、ダラスの地方検事をすでに13年務めており、その前はFBI捜査官だった。
ケネディ暗殺は重要な事件であり、彼は十分に準備して会見に臨んだはずだ。
それを念頭に置いて、彼の提示した証拠を検討していこう。
証拠として挙げられたのは、次の15点である。
①
多数の人間が、テキサス教科書倉庫ビルの6階の窓にオズワルドがいたのを目撃している
②
ライフルにオズワルドの掌紋が残っていた
③
問題の窓のそばで見つかったボール箱に、オズワルドの掌紋が残っていた
④
両手のパラフィン・テストによって、オズワルドは銃を撃ったばかりである事が示された
⑤
犯行に使われたイタリア製のカービン銃は、オズワルドが偽名を使って通信販売で購入したものであった
⑥
オズワルドは、ハイデルという名前の身分証明書を携行していた
⑦
彼は、大統領が狙撃された直後に、教科書倉庫ビルの中で警官に目撃されている
⑧
妻によれば、彼のライフルは金曜の朝(ケネディ暗殺の日)、いつもの場所には見当たらなかった
⑨
その日、オズワルドは包みを小脇に抱えていた
⑩
現場近くでバスに乗り、女性の乗客に向かって大統領が撃たれたと大声で笑った
⑪
タクシー運転手のダリル・クリックはオズワルドを家まで送り、オズワルドはそこで着替えた
⑫
彼は警官1人を射殺した
⑬
テキサス劇場(映画館)に入るのを見た目撃者がいる
⑭
逮捕される際、ピストルを抜き警官を殺そうとした
⑮
所持品の中から、暗殺現場と予測弾道を書き込んだ地図が発見された
では証拠の精査に入ろう。
①
多数の人間が、テキサス教科書倉庫ビルの6階の窓にオズワルドがいたのを目撃している
ヘンリー・ウェード検事は「大勢の人間が目撃した」と断言したが、その後に実は1人しかいない事が明らかになった。
その目撃者は、「あれが誰だったのか分からない。似た人を見たら、あんな人だったと指し示すことはできると思う」と述べたが、これでは裁判の証拠としては許されない。
②
ライフルにオズワルドの掌紋が残っていた
掌紋は、指紋と違ってある人物を特定する証拠になるとは限らない。
それでも証拠の1つだが、この件は「ライフルから掌紋は見つからなかった」とFBIが言明している。
フォートワースの新聞がすっぱ抜き、オフレコのブリーフィングでFBIから他社の記者にもリークされた。
③
問題の窓のそばで見つかったボール箱に、オズワルドの掌紋が残っていた
掌紋の存在は、オズワルドが手袋をしていなかった事を示している。
だが、部屋の床や壁、窓ガラスや窓枠からは、指紋類は1つも発見されていない。
掌紋が残っていたのは、移動可能なボール箱だけである。
この掌紋は、捜査陣が事件後にでっち上げた可能性がある。
ライフルに掌紋があったと虚偽の発表を行うウェード検事なら、ボール箱の件も似たことをしないとは言い切れない。
④
両手のパラフィン・テストによって、オズワルドは銃を撃ったばかりである事が示された
銃を発砲すると、ガスが放出される。
パラフィン・テストは、そのガスがかかりそうな身体の部分にパラフィンを塗布して、焼けた硝酸塩の粒子を検出するものだ。
ウェードは会見で、「ライフル」ではなく「ガン(銃)」と言った。
両手から反応があったとウェードは言ったが、頬からは検出されなかった。
つまりオズワルドは、ライフルを撃っていない可能性が高い。
⑤
犯行に使われたイタリア製のカービン銃は、オズワルドが偽名を使って通信販売で購入したものであった
ヘンリー・ウェード検事は、「そのライフルをオズワルドは3月に、ハイデルという偽名を使って通信販売業者から購入し、ダラスに郵送されたのを確認した」と述べた。
しかしオズワルドの逮捕直後に、ダラスの捜査当局は「凶器のライフルはドイツ製のモーゼルだった」と発表し、テレビでも公開されている。
翌日に「オズワルドは通信販売でイタリア製のカービン銃を買っていた」とのFBI資料が示されると、捜査当局は「凶器はイタリア製のカービンだった」と変更したのである。
⑥
オズワルドは、ハイデルという名前の身分証明書を携行していた
ウェードは「オズワルドの札入れの中に、ハイデルの身分証明書が入っていた」と述べた。
ダラス警察は、オズワルドがリーという偽名を使っていると発表していたが、FBIがハイデルという名でライフルを買ったと発表すると、今度はその名の身分証明書を公表したのである。
⑦
彼は、大統領が狙撃された直後に教科書倉庫ビルの中で警官に目撃されている
ウェードは次のように述べた。
「ケネディ暗殺直後に1人の警官がビルの中に駆け込み、オズワルドを見て逮捕しようとしたが、ビルの責任者はここの従業員で怪しい男ではないと言った。」
その後にオズワルドを指名手配した事についてウェードは、「教科書倉庫ビルの従業員はオズワルド以外は全員所在が確認されたからだ」と説明した。
だがニューヨーク・タイムズは「教科書倉庫ビルには約90名の従業員がおり、そのほとんどは銃弾が発射されたとき大統領パレードを見るため外に出ていた」と報じている。
暗殺直後のパニックの中、90名の従業員がすぐに所在確認され、オズワルドだけが指名手配になるのは、いかにも無理ではないだろうか。
⑧
妻によれば、彼のライフルは金曜の朝(ケネディ暗殺の日)、いつもの場所には見当たらなかった
オズワルド夫人は、夫がライフルを所有していると知らず、ピストルを持っていたことも知らなかったと、後に証言している。
おそらくウェードは、夫人の声が世間に届かないと確信していたのだろう。
オズワルドが捕まるとすぐに、オズワルド夫人はシークレット・サービスの手で身柄を拘束された。
この拘束は、法的根拠のないものだった。
拘束が始まって数日後に、ある記者がインタビューしたいと申し込んだが、FBIの横槍でインタビューできなかった。
身柄拘束とほぼ同時期に、シークレット・サービスとFBIは「夫は同じライフルでウォーカー将軍を撃とうとした事がある」とのオズワルド夫人が語ったという話をリークし、アメリカ中の新聞の一面にあふれた。
しかし夫人は、夫がライフルを持っていることさえ知らなかったのだから、作り話なのが明らかだ。
シークレット・サービスは拘束中の夫人に対し、「ソ連に戻ったほうが安全に暮らせるだろう」とほのめかした。
ソ連に帰ってくれたほうが好都合だと考えたのだろう。
⑨
その日、オズワルドは包みを小脇に抱えていた
ウェードは、「オズワルドはその包みを、カーテンがブラインドだと言っていた」と述べた。
包みの中身がライフルだったかは明らかになっていない。
その包みを預かっていたペイン夫人は、こう発言している。
「毛布にくるまれたそれが何なのか知らない。クウェーカー教徒の私は、宗教的な信条から家には武器を持ち込ませない」
⑩
現場近くでバスに乗り、女性の乗客に向かって大統領が撃たれたと大声で笑った
公衆の前で大声で笑うという態度は、オズワルドがダラス警察に身柄を拘束されていた48時間中に一貫して犯人であることを否定した事実と矛盾する。
FBIは非公式の記者会見で、この情報が虚偽であるのを認めた。
⑪
タクシー運転手のダリル・クリックはオズワルドを家まで送り、オズワルドはそこで着替えた
11月27日になって、オズワルドが乗ったタクシーの運転手はダリル・クリックではない事を捜査当局は認めた。
オズワルドを乗せた運転手はウィリアム・ホウェーリーで、彼はオズワルドを家まで送ったのではなかった。
だがホウェーリーの運行記録によると、オズワルドが彼のタクシーに乗ったのは午後0時30分だった。
ケネディ暗殺の銃弾が発射されたのは0時31分である。
オズワルドはケネディ殺害後にバス停まで歩き、バスに乗って6ブロックほど行き、そこで降りてからタクシーを拾ったとされている。
どうやってそんな事ができたのか。
⑫
彼は警官1人を射殺した
ウェード検事は、「オズワルドは車のほうに近づいてきた。ティピット巡査は車を降り、車を回って助手席側へ行こうとした。するとオズワルドは3発撃ち巡査を殺した」と述べた。
だがダラス警察は当初、ティピットは映画館で撃たれたと言った。
その後に、ある通りの路上で撃たれたと訂正し、さらにその後に別の通りだったと再訂正した。
ウェードはこの会見で、ティピットが撃たれた場所について「私は知らない」と答えている。
⑬
テキサス劇場(映画館)に入るのを見た目撃者がいる
ダラス警察は当初、映画館の料金係がオズワルドがびくびくしながら次々に席を替えるのを不審に思い通報したと発表した。
だがすぐに、入場券売り場にいる料金係が館内の客の様子を見るのは無理だという話が出て、オズワルドを見たのは案内係だったと訂正した。
最終的には、オズワルドの行動を不審に思った人が尾行し、案内係に手伝ってもらってドアを封鎖し、それから料金係が警察に通報したことになった。
⑭
逮捕される際、ピストルを抜き警官を殺そうとした
ウェードは、「オズワルドは警官を殴り、頭に銃を突きつけ撃った。しかし不発弾で、警官がオズワルドを逮捕した」と述べた。
だがオズワルドを逮捕したマクドナルド巡査は、異なった説明をしている。
「私はオズワルドの銃の握りの所をつかんだ。引き金にかかった彼の手の動きを感じたが、私は手に力を入れ、彼は引き金を引けなかった。」
⑮
所持品の中から、暗殺現場と予測弾道を書き込んだ地図が発見された
オズワルドが逮捕されると、すぐに警察は彼の部屋から所持品をすべて搬出し、大家には「オズワルドはもう戻らないだろう」と伝えた。
ウェードは地図を発見したと発表したが、11月27日付ワシントン・ポストは「ダラス当局は昨日、そのような地図の存在を否定した」と報じた。
オズワルドは殺されるまで、大統領暗殺の容疑を否認し続けた。
そのため大きな圧力がかけられた。
「逮捕した警官たちは、顔が腫れ上がるまでオズワルドを殴った」(12月1日付ワシントン・ポスト)
「オズワルドの目の周りにはあざができ、額には切り傷があった」(11月24日付ニューヨーク・タイムズ)
ある記者がオズワルドにあざと切り傷について聞くと、彼は「警官が私を殴った」と冷静に答えた。
オズワルドは逮捕後、弁護士を呼んで相談するという権利を否定された。
ダラス警察は、ACLU(全米自由公民権連盟)の弁護士に対し、「オズワルドは弁護士はいらないと言っている」と虚偽を伝えた。
妻マリーナは、シークレット・サービスに拘束され、夫に会えなかった。
虐待され孤独な状態に置かれたが、オズワルドは無実を主張し続けた。
オズワルドの死後、FBIは一般市民に口封じした。
「記者に協力してきた一般市民のほとんどは、FBI捜査官の訪問を受けてからは口をつぐみ協力を拒否している」(12月6日付ニューヨーク・タイムズ)
(2019年1月26日に作成)