(『大がかりな嘘』マーク・レーン著から抜粋)
ケネディ大統領の暗殺について、FBIと各証人の考えは「暗殺時の銃の発射は5秒から5秒半の間だった」という点で一致している。
そして銃弾は3発だったとされている。
だが射撃の名手でも、オズワルドが犯行で使ったとされるライフルでは、この時間内に3発は撃てない。
さらにオズワルドは、海兵隊にいた時にライフル射撃が上手くなかった。
その後もライフル訓練する姿を周りの人々は見ていない。
ポスト・ディスパッチ紙のリチャード・ダドマン記者は、興味深いことを報じている。
「ケネディ大統領のリムジンのフロントガラスには、小さな穴があった。
私ともう1人が、大統領の運ばれた病院の急患用の入口に停めてあったリムジンのフロントガラスに、銃弾によって開いたと思われる穴を見た。
シークレット・サービスは、このリムジンを誰にも引き渡さず、ワシントンに空輸して持ち帰ってしまった。
そしてシークレット・サービスはリムジンの調査を拒否し、穴に関する話も拒否した。
さらに銃撃の回数も不明瞭だ。
ほとんどの証人は3発の銃声を聞いているが、弾丸は5つ見つかっている。
1発目は、ケネディの喉に命中し体内に留まった。
2発目はコナリー知事のももから摘出された。それは背中の右側から入り、胴体と手首を抜けてももに入った。
3発目はケネディの後頭部に当たったが、彼が病院の中に運ばれる際に使われた担架から発見された。
4発目はいくつかの破片となって車の中にあった。
さらにもう1発が、芝生の中にあった。」
ティピット殺害の目撃者は、マーカム夫人という女性であった。
彼女は、この殺人が午後1時6分に起きたと確信していた。
だがウォーレン委員会は、1時16分より前にオズワルドをその場に行かせることができなかった。
そこで委員会は、マーカム夫人は時刻について間違っていると断定した。
マーカム夫人は、マーク・レーンのインタビューで「ティピットを殺したのは、背の低い男で、いくらか横腹が出ていて、髪は少しもじゃもじゃしていた」と説明した。
だが警察にした説明は「30歳ぐらいで身長は5フィート8インチ、黒髪でほっそりした体格」と記録されていて、全く異なる。
もう1人の目撃者であるウォーレン・レイノルズは、ある男がピストルを持って殺害現場から逃げるのを見た。
レイノルズはFBIの尋問をうけたが、「オズワルドだったか分からない」と語った。
尋問の2日後、レイノルズは頭を撃ち抜かれたが、何とか生き延びた。
その容疑者として、ダレル・ウェイン・ガーナーが逮捕された。
だが、ジャック・ルビーの店で働いていたストリッパーのナンシー・ジェーン・ムーニーの証言でアリバイがあるとされ、不起訴になった。
8日後に、ムーニーは同居人とけんかしたとしてダラス警察に逮捕されたが、彼女は独房の中で2時間も経たないうちに首をつって自殺した。
ナンシー・ペリン・リッチは、「多数の情報工作員と1人の米陸軍将校の出席した会合に、ジャック・ルビーがお金を持って現れた」との情報を、ウォーレン委員会に提供した。
しかしこの情報は削除された。
オズワルドを乗せたとされるタクシー運転手のウィリアム・ホウェーリーは、1965年12月18日に自動車衝突事故で死亡した。
リー・オズワルドと自称する男に、自動車を売ろうとした自動車セールスマンのアルバート・ボガードは、証言後に数人の男に襲われ病院に収容された。
ウォーレン委員会は、車を買おうとしたのはオズワルドではないと断定したが、それ以上調査しなかった。
(2019年1月27日に作成)