(『大がかりな嘘』マーク・レーン著から抜粋)
(※以下はネーション誌に載った記事の紹介です)
〇そこにいなかった男 ジョージ・ブッシュ、CIAの工作員
(ネーション誌 1988年7月16-23日号 ジョゼフ・マクブライド著)
ジョージ・ブッシュ副大統領の履歴書は、最近に発見されたFBIメモによって、書き落としがある可能性が出てきた。
1963年11月29日付のFBIメモは、フーバー長官から国務省の情報調査局長に宛てられたもので、『ケネディ大統領暗殺 63年11月22日』とのタイトルだ。
この中で、FBIのウィリアム・フォーサイスが、CIAのジョージ・ブッシュと国防情報局(DIA)のウィリアム・エドワーズ大尉に状況説明したとある。
情報機関のある筋は、「ブッシュは石油事業を秘密工作の隠れ蓑にして、1960年または61年にCIAの仕事を始めた」と語る。
CIAのスポークスマンのビル・デヴァインは、この件について「肯定も否定もできない。私たちは誰がCIAに関与しているか確認しない政策を採っている」と語った。
ウィリアム・フォーサイスの所在を調べたところ、彼は死亡していた。
フォーサイスは、FBIの破壊活動取締課でキング牧師暗殺事件の捜査を指揮したことで知られている。
エドワーズ大尉の所在も調べたが、不成功に終わった。
ジョージ・ブッシュ副大統領の自伝『ルッキング・フォワード』は、サパータ・オフショア社を経営していた1960年代前半の活動について、秘密であると言ってよいほど曖昧である。
情報当局筋は次のように語る。
「私は、ブッシュがカリブ海に関与していたのを知っている。
彼はケネディ暗殺の後、事態の隠蔽に関与した。」
CIAの秘密情報員は、よく実業家の装いをしている。
ブッシュは、1963-64年にテキサス州ハリス郡の郡長(共和党)になって、政治家生活に入り、64年に上院議員選に出たが落選した。
66年に石油事業を手放して、ヒューストン議会選に勝利した。
その後、ニクソン政権で国連大使のポストを得た。
ブッシュとCIAに繋がりがあるなら、彼がイラン・コントラ事件に関わり、麻薬密輸にも関わった事を説明しやすい。
レズリー・コクバーンは『アウト・オブ・コントロール』の中で、「フロリダにいる反カストロのCIAチームは、すでに1963年までに麻薬密輸を始めていた」と書いている。
同書では、「コロンビアのコカイン・カルテルを経由してコントラに渡された1千万ドルは、段取りをしたのはCIAのフェリクス・ロドリゲスだが、彼はブッシュを友人とみなした同窓生であった」とも書いている。
ブッシュが秘密工作に長年関与してきた経歴があるなら、国民は知る権利がある。
〇ジョージはどこにいた
(ネーション誌 1988年8月13-20日号 ジョゼフ・マクブライド著)
私の書いた『そこにいなかった男 ジョージ・ブッシュ、CIAの工作員』が発表されると、CIAはこう説明した。
「FBIメモにあるジョージ・ブッシュは、ジョージ・ハーバート・ウォーカー・ブッシュではなく、ジョージ・ウィリアム・ブッシュである」
CIAはジョージ・ウィリアム・ブッシュの現在の所在は不明であると語ったが、私は所在を突きとめた。
彼に取材すると、「1963年当時はCIAの下級の調査員兼アナリストで、GS5の階級を持っていたが、FBIから状況説明を受けたことはない」と語った。
ジョージ・ウィリアム・ブッシュは64年にCIAを辞め、国防情報局(DIA)に転職して64年2月から65年7月まで働いた。
現在49歳で、社会保障局で請求代理人として働いている。
彼は、メモに出てくるFBIのウィリアム・フォーサイスとDIAのウィリアム・エドワーズについて、「どちらも知らない」と述べた。
なぜCIAは、ジョージ・ウィリアム・ブッシュの居所を突き止めようともせずに、メモに出てくるブッシュだと指摘したのだろうか。
なぜマスメディアは、詳しく調べることもせずにCIAの説明を報道したのだろうか。
そしてジョージ・ブッシュ副大統領は、CIAで働いていたのなら、なぜ私たちに話さないのだろうか。
(完)
(2019年1月27日に作成)